第12回 初春
“運命の仏像”に会いに行く
桜井・聖林寺の十一面観音様

花が奈良の古寺を彩る季節や名所はたくさんあって行き先には困らないが、できれば仏像と向かい合う時間もほしい、
なんて欲張る時は、実際に行ってきた人の話が確実だ。
以前、行き先も決めず、ただ花がありそうだからと桜井に向けてタクシーに乗った時のこと。やはりハズレは避けたいので、まずは運転手さんに「オススメの古寺はありますか」と訊いてみたのだ。


「お客さま、それなら、私の”運命の仏像”がいらっしゃるお寺をお薦めしますよ」

たちまち色めきたつ我々女性旅行者三人組。花のお寺に、運命の仏さま、とは。
初老の運転手さんは、ハンドルを握る白い手袋のほかは制帽の後ろ姿しか見えないが、もとは東京の人だったとか。現役時代、仕事に疲れ、人間関係にすり減った時、ふらりと奈良へよくやって来たのだという。そして、出会った。運命の仏像に。

「たどりついたらクタクタでね。足元に座って、見上げているだけで涙が出てきたもんですよ。理由なんか言えません。ただ、仏さまのありがたさに泣けた、というか」
なんという話だろう。それこそ奈良の仏さまに救われたということではないか。
「がんばれるだけがんばって、苦しくなったらここに来て。そうしてサラリーマン生活を大過なく満了。すぐに東京を引き上げ奈良に来ました。毎日でも仏さまに会えますから」
たしかにそれは”運命の仏像”。宗教というようなことではなく、その存在を体で感じることで、一人の男性が心をリセットされ、生きる活力を吹き込まれたのだから。

「そのお寺へ行ってください」「その仏さまのお寺に」「そう。私たちもお会いしたい」
「かしこまりました」

それが桜井にある古刹、聖林寺との出会いだった。花のお庭でも知られ、談山神社へ上がる道の入り口にあり、急な斜面に築かれた石垣の上に境内が開ける。ご本尊はお地蔵様だが、”運命の仏像”があるのは境内の中の一段高い別のお堂。お客様のように隔離されているのは、日本に七体しか指定されていない国宝の十一面観音像の一体だからという文化財的配慮からではない。もともとこの仏さまはここの持仏でなく、三輪山・大御輪寺の本尊であったからなのだ。

時は明治。西洋文明偏重のあまり、日本古来の仏像が壊されたり海外に持ち出されたりする受難の時代、なんとか廃仏毀釈の嵐を逃れ、ここに運び込まれてきたのである。つまり、もしかしたら我々が永遠に目にすることもかなわなかった仏さまだ。秘仏になっていたのもうなずける、圧巻の存在感に、我々もいつか無言でひざまずいている。

衆生を救うため頭上に十一の顔をもった観音菩薩は慈悲の仏。ゆえに多くの十一面観音像が女性的に造られているが、この仏像は堂々たる立ち姿。肩幅があり、きれの長い半眼も男性的だ。フェノロサを始め、高名な人たちがその美しさを評しているが、どんな説明よりも、実際に対面すれば気高さがわかる。

「いかがですか?」
振り返ると、運転手さんが見守っていた。その笑顔、どこか仏さまに似通うような。
我々もまた、違う顔になって帰って行けそうだ。

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兵庫県三木市生まれ。神戸女学院大学卒業。 ’87年 神戸文学賞受賞作の『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で文壇デビュー。 著書多数の中、幻の名画コレクションに材を取った『天涯の船』をはじめ、巨大商社の女主人の一代記『お家さん』(第25回 織田作之助賞受賞)、生野銀山を舞台に国家と人間の近代化を描いた『銀のみち一条』(いずれも新潮社)は、 明治三部作として反響を呼んでいる。 2015年に刊行した『天平の女帝 孝謙称徳』(新潮社)執筆の際は、小説の舞台が登大路ホテル奈良に隣接する興福寺だったこともあり、ホテルに宿泊して構想を練った。 最新作は、戦国時代の最後のヒロイン、千姫の人生を描いた『姫君の賦(ふ)―千姫流流(りゅうりゅう)―』(PHP研究所)。大阪芸術大学教授、関西大学客員教授。

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