~赤膚焼の窯元を訪ねて
焼き物が好きで、二十代の頃、陶芸を習いに通ったこともある。弟子入りを許してもらえなかったのは無念だが、深入りしていたら物書きとしての今はなかったかもしれない。
ある時、奈良のギャラリーショップで、ちょいと気になる小皿に出会った。乳白色の、ぽってりとした作りだが、蓮の花の意匠は、高貴な寺院の紋瓦らしい。
赤膚(あかはだ)焼。奈良にそんな焼き物があるなんて。
説明書によれば、窯は西ノ京にあり、発祥については諸説あるものの、五条山の別名である赤膚山のふもとに今も複数、窯元が点在するとか。西ノ京といえば、西大寺や唐招提寺、薬師寺などの大寺が連なるエリア。小皿の瓦紋はいずれかの大寺のものに違いない。これは、行ってみなくっちゃ。
まずはホテルで、窯について尋ねてみた。当然ながらよくご存じで、正人(まさんど)窯を教えてもらう。当代は九代目の大塩正巳さんである。お会いしてお話を聞けば、焼き物についてのすべてがわかった。
あの小皿は東大寺の瓦紋。もちろん他の大寺の瓦紋をデザインした皿もある。
「ああ、全部ほしいよ」物欲が暴走し始め、さあ困った。
冷静になるため、もっと詳しくお話を聞く。
この焼き物、寺院の建造が相次いだ奈良時代に始まったのかと思いきや、裏付けの史料はないらしい。明確なのはずっと後世、茶道が武将らによってたしなまれることになってからのこと。豊臣秀吉の弟秀長が郡山城主だった時代に陶工を呼び寄せ、茶道具を作らせたのが起源だそうだ。
なるほど茶陶だけに、洗練されて品がいい。赤みのある、ほんわかとした素地に、愛らしい奈良絵文様がほどこされているのも特徴的だ。
正人窯の敷地内には大きな登り窯があり、裏山の断層に堆積している赤い粘土や、うず高く積まれたアカマツの薪など、目を惹かれるものはいくらでもあり、その工程についても興味が尽きない。けれどやっぱり、私はギャラリーが気になる。たくさんの作品に囲まれて、そっとしておいてもらえるならばこの上ない。
正巳さんの作品には、思わぬ深いメッセージがある。たとえば干支の焼き物でも、正反対に位置する向干支(むかいえと)の動物が隠されていたり、ペアの鹿の箸置きには裏に竹の子や桃が彫られていたり。これは安定や長寿の意が込められているのだなと読み解けば、「ナルホド!」と楽しくなって、器と向き合う時間が尽きなくなる。
この日私は、欲しかったお皿ではなく小さな香合を買った。蓮の花にちょこんと座った蛙の蓋物で、題は「望(のぞみ)」。赤膚の素地に青い釉薬(ゆうやく)で彩色された体が濡れたように艶めいて、何より、宙を見据えて微笑む蛙の、超然としたアルカイック・スマイルに魅了されてしまった。
気づけば背中に梵字が一文字。はて、刻まれたのは何のメッセージ? むろん蛙は答えないが、時に、とても饒舌に何かを語りかけてくることもある。
「忘れたことはもう一度訊け」、どうも私にそう言っているようで、近々、赤膚山をもう一度、訪ねることになりそうだ。