第20回 初春
本物の奈良漬 最後の一軒

 驚いた。これが本物の奈良漬か。
 奈良市の三条通にある「今西本店」で、定番の瓜の奈良漬を食べた時の衝撃は、今でも忘れられずにいる。

 色は漆黒。キュウリも茄子も形でそれとわかるものの、もとの色はどこにもない。しかし舌触りよく、味は深く、コクというのであろうか奥行きを感じ、たとえば熟成されたチーズと合わせてもまったく負けないだろう。

「はい。この味は、長い時間をかけてこそ出せる奈良漬の味なんです」
 当主の今西泰宏さんが笑顔で語る。江戸時代末から四百年も続く老舗の五代目。この味はつまり、昔ながらの製法により、野菜と酒粕とがハーモニーをなし、長い時間の中で醸し出した結果というのである。
「瓜は最低でも三年、キュウリは七年。小さな瓢箪なら十九年も漬けますね」
 あたりまえのように今西さんは言うが、十九年前といえば’02年、サッカーのワールドカップに日本が初出場して沸いた年。父も存命だったし私も若かった。奈良漬には、それほど長く、時間という助っ人が必要なのだ。なにしろ天然の働きだけで作るのだから。

 そう、材料は、契約農家から買い付ける厳選された野菜と、上質な酒粕以外、何も目新しいものはない。だが板状の酒粕を、足で踏んで空気を抜き、半年寝かせた「踏み込み粕」となるとそこらにはない。しっかり踏み込んだものは、十年は保存できるというから、手の抜けない作業だ。
「昔の人の知恵って、すごいでしょ」
 子供の頃から家業を手伝ってきたという今西さんの口調には、奈良漬を発明した先人たちへのリスペクトが満ちている。

 とはいえ、材料が少ない分、人の手間は大変なもの。店の裏手の倉庫には、天井の高さまで二千以上の樽が整然と並んでいる。下漬け、中漬け、本漬けと、数ヶ月ずつ時間をおいて水と塩気を抜き、一つ一つ取り出してはまた新しい酒粕に漬け込むことを繰り返す。仕上げの過程ですでに一年が経過していることになるが、さらに一年また一年と、材料によって時間をおき、極上仕上げとなれば三年以上も熟成させてやっと商品になるわけだ。

 いやあ、大変な手間。そりゃもう甘味料や着色料でさっさと作る方が簡単だろう。実際、この手間を省くために薬品を使ったり、時間短縮してわずか半年ほどで出荷されるものや安価にするため海外製も多く出回っているという。そりゃ味が違うわけだなあ。
「安く早くたくさん作る、というのが時代のニーズなんでしょうが、それだと本来の奈良漬の味ではなくなってしまいます」

 創業以来の製法を揺るぎなく守って今日に至り、「純正奈良漬」と名乗ることを全国観光土産品公正取引協議会から許された、ただ一軒の奈良漬屋さん。むろん誇らしいが、他にないというのはどこか寂しいような。
「でも、やめたくてもやめられませんよ」 
 泣き笑いのようなお顔になるのは、倉庫にはまだ十年以上漬けてある樽があるからか。
 だが大丈夫。本物の奈良漬の味をわかる人たちこそが求めることをやめないだろう。生き残る伝統には、明るい希望の味がする。

「今西本店」へのアクセス 奈良市上三条町31番地(近鉄奈良駅より徒歩約5分) TEL 0742-22-2415 9:30~18:00  水曜、第3日曜休(他臨時休日あり) ※奈良漬はオンラインショップでも購入可能 http://imanishi.shop-pro.jp/

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兵庫県三木市生まれ。神戸女学院大学卒業。 ’87年 神戸文学賞受賞作の『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で文壇デビュー。 著書多数の中、幻の名画コレクションに材を取った『天涯の船』をはじめ、巨大商社の女主人の一代記『お家さん』(第25回 織田作之助賞受賞)、生野銀山を舞台に国家と人間の近代化を描いた『銀のみち一条』(いずれも新潮社)は、 明治三部作として反響を呼んでいる。 2015年に刊行した『天平の女帝 孝謙称徳』(新潮社)執筆の際は、小説の舞台が登大路ホテル奈良に隣接する興福寺だったこともあり、ホテルに宿泊して構想を練った。 最新作は、北前船の帆を革命的に改良し、江戸海運を一変させた男の堂々たる航跡を描いた『帆神(ほしん)-北前船を馳せた男・工楽松右衛門-』(新潮社)。大阪芸術大学教授、関西大学客員教授。

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