登大路・往來記第7回

第7回 初冬
女帝の願い 時を超え
東大寺お水取り

奈良は、私の作品で『天平の女帝 孝謙称徳』を書くため足繁く通った土地だが、主人公との縁は書き終えればおしまいというのではなく、むしろ完成させてからの方が深まっていくようで楽しくなる。たとえば東大寺のお水取りで知られる「修二会(しゅにえ)」。今年で1266回も続く伝統行事だが、執筆前には気づかなかったのに、改めて訪ねてみると、ここにも女帝の影が色濃く浮かび上がってくる。というのも、第一回の法要が行われたのは天平勝宝4年(752)、まさに女帝の治世の時代なのである。

当時の国内は各地に天変地異が起こり、稲は実らず、疫病が流行して国民は疲弊していた。これを鎮め修めるのが天皇の仕事であるが、父帝である聖武天皇はもともと体が弱く、この国難に太刀打ちする気力を失っていたようだ。彼女に譲位し、国政を任せ、翌年に悲願の大仏開眼法要を待つばかり。この時代は国政も、仏教の力で治めようという考えだったから、莫大な費用がかかるのを覚悟で大仏を建立したのである。

女帝もしかり。『日本後記』などの正史を見ると、若くして皇太子となり徹底的に帝王となるための教育を受けて育ったこの人は、常に国のありさまを見ては自分の非力を省み、慈愛あふれる君主たろうと苦悩していたことがうかがえる。女性というハンデを負っていたからか、ともかく使命感が強く、きまじめなのである。ゆえに、後には自ら出家して尼僧になるほど信仰も篤かった。 とはいえ、たのみの大仏の開眼供養はまだ先だ。そこで東大寺開祖の良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によりこの法要が始まる。

主な祈願が、風雨温順にして五穀豊穣、万民快楽にして国家安泰、というなら、それはまさに天皇自身の願いであろう。そもそも官営の大寺院である東大寺で行うからには国家的イベントに他ならない。だから東大寺が始めたというよりは、むしろ国の施策であったと取るのが自然な気がする。 けれどもこの女帝に関しては、歴史の上ではあらゆる業績をスルーされ、あまりいい評価がされていない。だからこの法要も、女帝が望んだものだったにもかかわらずいつかその部分は忘れられてしまったのでは、と考えたくなるのだが、いやはや、女帝を主人公に描いた私の、贔屓目だろうか。 二月堂の印蔵には今なお女帝の勅書が保管されており、他にも江戸時代の失火で多数の重要文書を焼失した事実を思うと、まんざら偏った史論ではないという気もするのだ。

何にせよ、修二会がこの女帝の時代に始まったことは歴史的事実。以来、国家の安泰と民の平穏を願う祈りは現在まで、一度たりとも絶えることなく行われてきたのだ。 そして、この修二会の間の3月12日深夜に、いったん行を中断して行われるのが「お水取り」だ。本尊の十一面観音さまにお供えするため若狭井(わかさい)という井戸から「お香水」を汲み上げる儀式である。 もちろん当役の者以外、儀式が行われる閼伽井屋(あかいや)へは誰も入ることはできない。ただ、お香水を内陣に納めるため、灑水器(しゃすいき)と散杖(さんじょう)を携えた咒師(しゅし)が練行衆を率い、松明に先導されていく様子は、境内から一般人も眺めることができる。夜中の行事だから、まずは帰りを気にしなくていいようホテルの部屋を確保し、寒さ対策をして出かけるのが大事。

すべての生命の根源である「水」。過去から現在、天平から平成の今へ、時というはるかな水脈を伝い、女帝が祈った普遍の願いが伝わってくる、そんな感覚が、松明の炎とともに訪れるのだ。

女帝の願い 時を超え 東大寺お水取り
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兵庫県三木市生まれ。神戸女学院大学卒業。 ’87年 神戸文学賞受賞作の『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で文壇デビュー。
著書多数の中、幻の名画コレクションに材を取った『天涯の船』をはじめ、巨大商社・鈴木商店の女主人の一代記『お家さん』(第25回 織田作之助賞受賞)、生野銀山を舞台に国家と人間の近代化を描いた『銀のみち一条』(いずれも新潮社)は、 明治三部作として反響を呼んでいる。
2015年に刊行した『天平の女帝 孝謙称徳』(新潮社)執筆の際は、小説の舞台が登大路ホテル奈良に隣接する興福寺だったこともあり、ホテルに宿泊して構想を練った。 最新作は、呉服商から皇室御用達百貨店を目指した女主人の一代記『花になるらん-明治おんな繁盛記-』(新潮社)。

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