作家 玉岡かおるの登大路・往来記(Noborioji ouraiki)

桜の写真
第4回 初春 さくら咲く 花は吉野の花供養

日本人なら誰でも、さくらが咲くと心が浮き立ち、仲間を誘ってお花見に行こうとベクトルが働く。そしてどこへ行こうか考える時、日本一をうたう名所が数々あって迷うものの、吉野を知らない人は、まずないだろう。

なんといっても吉野は金峯山寺(きんぷせんじ)を中心とする修験道の根本道場。しかも「紀伊山地の霊場と参詣道」という世界遺産の地でもある。何人もの歴史的人物の足跡が刻まれているが、さくらの始まりは千年も昔にさかのぼる。
修験道の開祖といわれる役小角(えんのおづの)が、吉野の大峯山で厳しい修行の果てに蔵王権現(ざおうごんげん)を感得するが、それをさくらの木に刻んだことから神木となった。その後、無数の人々が献木し、ひと山を覆うばかりになったのだ。
山全体に、みほとけを思い亡き人を偲ぶ供養の心が花咲いていると知ってみれば、他の、公園などで観賞用に植えられたさくらとはまったく違う眺めになるのは当然だ。

谷から尾根へ、下千本、中千本、上千本、そして奥千本と、見渡すかぎり、さくら色。高低差のある山をまるごと自然のキャンバスにして、三万本が、ほぼひと月かけて咲きつなぐ雄大さは、他にないだろう。おかげで桜の季節は、吉野へ吉野へ、バスも車もケーブルも人で満杯。

―― うーん、だいたい日帰りで要領よく行ってこよう、なんてお手軽に考えるのが横着なんだなあ。

そこで私は考えた。渋滞に遭わず悠々と車で移動でき、山上では人も少なく、思いのままのポイントから桜を眺めて大満足、というアクセス法を。
それは、まず前日に車で吉野山まで上がっておくのである。金峯山寺の膝元にはいくつかの宿坊があるから、ここに泊まれば駐車場にも困らない。宿坊なので部屋は和室で雑魚寝だし夕食も精進料理ではあるが、それも普段と違ってなんだか新鮮。日没の頃には夕日に染まる花の山を眺め、花に埋もれた金峯山寺から響く鐘の音に心を澄ませ、翌日は朝早くから満開のさくらを存分に楽しむ。そう、花の風雅を楽しむならば、花のためにだけ時間を費やし、手間もお金も少しかける、というのが筋なのだ。
おかげでひしめくような観光客がやっと山にたどり着く頃、彼らが駐車場探しに難儀しているのを横目で見ながら、逆方向へすいすい下山。帰路はお気に入りのラグジュアリーホテルに立ち寄り、きのう宿坊体験で修行した分の精進落とし。
どう? 完璧でしょう。

このやり方で実際に私が吉野へ出かけたのは、吉野がもっとも賑わう花供懺法会(はなくせんぽうえ)の日。盛りのさくらを、金峯山寺の本尊、蔵王権現にお供えするという、心優しくも敬虔な伝統行事が、二日にわたって執り行われるのだ。
朝十時から竹林院を出る行列は、奴を先頭に、 一山僧侶、稚児、山伏、信徒らが行列を整え、蔵王堂まで練り歩く。赤や緑の鬼もいるし、女性の行者が多いのにも目を引く。
見どころは道中何度も繰り返される奴踊りだ。漆の陣笠、さくらの寺紋を染め抜いた半纏を腰からげ。いなせな姿の奴たちが、毛槍を振り立て、背中に担いだ葛籠を上げ下げしながら「アラ、さくら、さのサー」とかけ声も威勢よく、両手両足を踏み交えて音頭を取れば、気分も一気に華やいでいく。
行列の最後は管長猊下が乗られた大名籠。さすが十万石の格式と、納得できよう。

おかげで花のない時期、どんなに沈んだ気分の時も、静かな山に息づくさくらを思えば和まされる。
花は吉野のさくら花。
千年の時が育てた日本人の思いと歴史は、山とともに自然とともに、いつも心に満開で咲く。

兵庫県三木市生まれ。神戸女学院大学卒業。 ’87年 神戸文学賞受賞作の『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で文壇デビュー。 著書多数の中、幻の名画コレクションに材を取った『天涯の船』をはじめ、巨大商社・鈴木商店の女主人の一代記『お家さん』
(第25回 織田作之助賞受賞)、生野銀山を舞台に国家と人間の近代化を描いた『銀のみち一条』(いずれも新潮社)は、 明治三部作として反響を呼んでいる。

2015年に刊行した『天平の女帝 孝謙称徳』(新潮社)執筆の際は、小説の舞台が登大路ホテル奈良に隣接する興福寺だったこともあり、ホテルに宿泊して構想を練った。 最新作は戦中、戦後の婚礼衣装の変遷を描いた小説『ウエディングドレス』(幻冬舎)。

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