作家 玉岡かおるの登大路・往来記(Noborioji ouraiki)

第6回 初秋 神に呼ばれてたどりつく杜 いつか行くべき天河神社

天河神社(てんかわじんじゃ)。
――まるで天とこの世をつなぐ清らかな地を思わせる美しい名だ。
でも、どこにあるのか、知っている人は少ない。
それもそのはず、天河神社まではとても遠い。紀伊半島のほぼ中心、修験道の聖地大峯山系の麓にあり、ここへ行くには、まず大阪から近鉄電車で吉野線の下市口駅で降り、バスに乗り換え1時間。これで「天川村」に着く。神社とは異なる「川」の字を用いるものの、神社までだいぶ近づいたとは察せられるが、なんの、バスを降りた「天川川合」停留場からはさらに、川沿いの道を約30分以上歩かねばならない。
そういえば停留所で見た信号機を最後に、道中、もう人を止めるものは何もなく、車だってほとんど通らない。関西にも秘境があったか、と感嘆しながら山間の道を進むと、左右から迫る渓谷の紅葉に自分まで染まってしまいそうだ。
でもすみません、実は私は車で行きました。それでも、やっぱり遠かったー。

吉野からの帰り、時間はあるし紅葉を見ながらドライブしようということになり、地図を開いたらすぐ、この美しい字が目に留まったのだ。
「それ、どこ?」「何の御利益?」
罰当たりにも天河神社の何たるかも知らないで、友人ともども紅葉につられて来たのである。
だが到着後、境内にある由緒書きを読んで驚いた。天河神社は“縁がなければたどり着けない神様”とある。
それはそうだ、あんなに交通が不便では、なかなかここまで行けないだろう。案内板を見落とし道に迷ったり、山道ゆえに思わぬトラブルに遭遇したり、途中で「や~めた」、とめげちゃったり・・・。まあ私たちは車だったからね、とナビに感謝しつつ拝殿に進むと――。
そこには能舞台が設けられ、薄暗い中にもなにやら荘厳な空気が漂っている。そして、さほど遠くない日に奉納されたらしい能楽の舞い手の名を見てのけぞった。能楽観世流シテ方の片山九郎右衛門、とある。
何を隠そう、私は九郎右衛門先生について謡(うたい)をちょこっと習ったことがある。能舞台があるなら先生がここに来られて不思議でないが、問題は私の方で、ずっと稽古を休み、先生に不義理をしたままだったのだ。

「呼ばれたのは先生でしたか。」
――ぞくっと肌が粟立った。言い伝えは語る。天河神社へは来るべき時期が来ないとたどりつけない、そして、神様に呼ばれた者だけが行くところだと。
背後で友人が賽銭を投げ込み鈴を振る。天河神社の象徴となる「五十鈴(いすず)」である。日本神話で、天岩戸に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)を呼び戻すため、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が踊りに用いた神代鈴。それと同じものであるという。
しゃらんしゃらん――。これが芸能の女神が馴らした五十鈴の響きか。心にしみこみ、内側から清められて、そして魂が外界の杜の空気に調和していくような、そんな余韻だ。

「先生、すみません。必ずお稽古には復帰しますから」

思わず私も次に並んで柏手を打ち、鈴を鳴らした。いつかは来るべきだった神様の前。
九郎右衛門先生も舞いを納めた芸能の神様。新しいエネルギーに満たされて、さあ原稿もがんばって書きますと、二礼二拍手、もう一度頭を垂れて、街に向かって踵を返す秋なのだった。

兵庫県三木市生まれ。神戸女学院大学卒業。 ’87年 神戸文学賞受賞作の『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で文壇デビュー。 著書多数の中、幻の名画コレクションに材を取った『天涯の船』をはじめ、巨大商社・鈴木商店の女主人の一代記『お家さん』
(第25回 織田作之助賞受賞)、生野銀山を舞台に国家と人間の近代化を描いた『銀のみち一条』(いずれも新潮社)は、 明治三部作として反響を呼んでいる。

2015年に刊行した『天平の女帝 孝謙称徳』(新潮社)執筆の際は、小説の舞台が登大路ホテル奈良に隣接する興福寺だったこともあり、ホテルに宿泊して構想を練った。 最新作は戦中、戦後の婚礼衣装の変遷を描いた小説『ウエディングドレス』(幻冬舎)。

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