田山花袋と奈良

田山花袋の紀行文『京阪一日の行楽』

田山花袋と奈良

数多くの紀行文を書き残した田山花袋

日本の自然主義文学を確立し、多くの文学者に影響を与えた田山花袋(たやま・かたい=1872~1930)。実は『蒲団』『田舎教師』などの代表作のほかに、紀行文作家として膨大な文章を残しています。奈良へは少なくとも8回訪れたことが確認されており、その文章は、現在の私たちにも奈良の魅力を存分に伝えてくれるものです。

明治42年、37歳の田山花袋(「花袋全集」第3巻より 国立国会図書館蔵)

明治42年、37歳の田山花袋(「花袋全集」第3巻より 国立国会図書館蔵)

田山花袋 本名録弥(ろくや)は、秋元藩藩士を代々務める田山家の次男として、明治4年12月(太陽暦では1872年1月)に栃木県館林町(現在の群馬県館林市)に生まれました。5歳のときに父が西南戦争で戦死。薬種屋や書店に丁稚奉公に出されるなど決して恵まれた環境ではありませんでしたが、13歳で漢詩集をまとめ、16歳からは英語や和歌を学び、19歳のとき小説家 尾崎紅葉に弟子入りを願い出ます。以降58歳で亡くなるまで、翻訳や評論を含む活発な創作活動を行いました。

文学的回想記である『東京の三十年』の「私と旅」で、花袋は「旅行癖は随分昔から」あったこと、「旅行は私に種々な知識と感興とを与え」、旅行が歌や小説の題材になったことを振り返っています。花袋の創作活動に、旅は重要な役割を果たしていたようです。

一方、花袋は27歳から40歳まで、当時出版界の王者といわれた博文館に入社し、『大日本地誌』の編纂に携わるなど、地理の知識を深くしていきます。そのことがさらに花袋に旅と紀行文への関心を高めさせ、のちに『日本一周』や『一日の行楽』シリーズなどを執筆する原動力になったのではないかと考えられます。

「奈良は好いね。一番好いね」

大正3(1914)年に刊行された『日本一周(前編)』「奈良」の章には、次のような一文があります。

「何処に一番行つて見たいね」
かう私が訊くと、私の多くの友達は、(略)
「イヤ、行つて見たいところは奈良だね」
かう大抵は答へる。(略)
「奈良は好いね。一番好いね」
「あんな好い処はありやしない。(略)あそこに行くと、
ひとり手に気が落付いて来るから不思議だ」(略)
「世界でもあゝいふ感じのする処は余りあるまいね」
誰でも異口同音にこんなことを言はぬものはない。
私もさう思つてゐる。奈良を思ふと――ことに奈良の西部を思ふと、
今でもすぐ行きたいやうな気がして来る。

『日本一周(前編)』より(国立国会図書館蔵)

『日本一周(前編)』より(国立国会図書館蔵)

花袋は明治31(1898)年の個人旅行を皮切りに、大正13(1924)年までの間に仕事の取材を含め、少なくとも8回奈良を訪れています。花袋にとって「旧都の空気が到る処に巴渦(うづ)を巻いてゐる」奈良は、他に代えがたいインスピレーションを与えてくれる土地であったようです。

奈良の紹介から始まる『京阪一日の行楽』

田山花袋『京阪一日の行楽』の目次と冒頭部分(国立国会図書館蔵)

田山花袋『京阪一日の行楽』の目次と冒頭部分(国立国会図書館蔵)

花袋は大正12(1923)年、小旅行ガイド『東京近郊一日の行楽』と、その姉妹編『京阪一日の行楽』を刊行しています。「京阪」と言っても、文中最初に紹介されるのは、やはり奈良です。その内容は、奈良市内はもちろん、三輪、飛鳥、吉野から大峯、月ケ瀬や生駒まで県内60か所以上210ページにわたり、文体は口語で会話風、独白風、随筆風と、読み飽きない構成になっています。たとえば、「若草山」の章は、以下のような会話を基本に進み、その中に奈良に関する情報と花袋の経験や思いが色濃く織り込まれています。

「大和平野を見るのには、何と言つても、あそこは好いね。それに、あそこから見ると、奈良の昔の都の址が一目に見えるからね。はゝァ、奈良の都と言ふのは、かういふところだつたんだな――といふことがすぐのみ込めるね。西山に薬師寺の塔や、唐招提寺の鴟尾(しび)のついた金堂の屋根の見えてゐるのも、何とも言へずなつかしいね。それに、大和の三山――耳無、香久山、畝傍も見えるし、その向うに金剛山も見えるからね。ちよつと好い処だよ」
 「さうだらうね?」
 「それに、昔の藤原時代の人達も此処に登つたにちがひないからね。それを思ふと、何とも言はれずなつかしくなつて来るよ・・・・・・。平城宮のあつた時分にだッてそこに上つたものは随分あるだらうから、その時のことがすぐ眼の前に浮んで来るやうな気がするよ・・・・・・。僕は二度、三度上つた。一度は月の夜だつた。」
 私はいろいろなことを思ひ出さずにはゐられなかつた。

大和平野を遠くまで見渡せる若草山

大和平野を遠くまで見渡せる若草山

花袋が文章に残した奈良の風景を味わう

明治39(1906)年初出の『奈良雨中記』を読みすすめていくと、来寧中の花袋のもとを、平城宮跡の保存運動に奔走した棚田嘉十郎(たなだ・かじゅうろう=1860~1921)が訪れた雨の夜のことが文語体で記されています。荒廃した大極殿址に記念物を建てるため、花袋にも発起人として協力してもらいたいと1時間にわたって懇願し、激しい雨の中を帰っていく棚田の様子が淡々と綴られ、歴史の1シーンに立ち会ったような気持ちになります。下って『京阪一日の行楽』の「大極殿址」の項には、ぐっとくだけた文章で、この日の後日談が書かれています。15年以上前に一度会ったきりの棚田の一途な態度と、その後の棚田の悲劇的な人生が花袋に強い印象を与え、改めて書き残さずにはいられなかったのではないでしょうか。

*棚田嘉十郎については、「綴る奈良」の「平城宮跡の楽しみ方」で紹介しています。
https://noborioji.com/noboriojiselect/article/93

『奈良雨中記』棚田嘉十郎来訪の様子が描かれた部分(国立国会図書館蔵)

『奈良雨中記』棚田嘉十郎来訪の様子が描かれた部分(国立国会図書館蔵)

『京阪一日の行楽』棚田嘉十郎の後日談が書かれた部分(国立国会図書館蔵)

『京阪一日の行楽』棚田嘉十郎の後日談が書かれた部分(国立国会図書館蔵)

「奈良は昔の気分が巴渦(うづ)を巻いて残つてゐる」と折りに触れ記した花袋。今の奈良は、花袋が歩いた頃とは当然違いますが、変わらずに守られてきた風景も数多く残されています。奈良に関する花袋の紀行文は、国立国会図書館のデジタルコレクションで多くが公開され、ダウンロードすることができます。特に現代的な文体の『京阪一日の行楽』は、カラースキャンで公開されていることもあり、読みやすいデータになっています。旅の下調べとして読むのはもちろん、ご自身の知っている奈良と比べながら読み進めると、新しい発見があるかもしれません。

国立国会図書館デジタルコレクションで読める田山花袋の紀行文(一部)

『日本一周(前編)』博文館 1914
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951955/277?tocOpened=1 

『京阪一日の行楽』博文館 1923
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1899392 

『奈良雨中記』(1906初出。リンク先は「艸枕・旅すがた」隆文館 1914所収分)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933609/175 

奈良と田山花袋に関する参考文献

『東京の三十年』田山花袋作 岩波文庫 1981
『奈良近代文学事典』浦西和彦・浅田隆・太田登編 和泉書院 1989
「紀行文作家・田山花袋―明治期、奈良への旅を中心に」光石亜由美(奈良大学紀要39号 2010)
綴る奈良「平城宮跡の楽しみ方」(棚田嘉十郎の紹介あり)
https://noborioji.com/noboriojiselect/article/93

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