そうめんと奈良

奈良はそうめん発祥の地

そうめんと奈良

そうめん発祥の地、三輪

つるりと喉ごし良く、夏の食卓に欠かせない手延べ素麺。
そのルーツは奈良時代に中国から伝わった「索餅(さくべい)」だといわれます。練った小麦粉を縄の形にねじった、ツイストパンのような形をした索餅は、熱病除けのまじないとして旧暦の7月7日(2020年は8月25日)に宮中の儀式の膳に供される特別な食べ物でした。

素麺が日本で独自の発展を遂げ、今のように細い麺になったのは鎌倉時代のことです。興福寺の学侶によって書き継がれた『多聞院日記』などには、麺十把が三輪より届いたことや、「三輪そうめん」を振る舞ったことなどが記されており、16世紀後半の室町時代には三輪そうめんの名が知られていたことが分かります。

『日本山海名物図会』大和三輪索麺 国立国会図書館蔵

『日本山海名物図会』大和三輪索麺 国立国会図書館蔵

三輪山西麓一帯は、巻向川や初瀬川の清流が流れ込む盆地にあり、良質な小麦を水車で粉にするのに適した恵まれた立地にありました。江戸時代中期の18世紀末にまとめられた『日本山海名物図会』には、三輪素麺が「細きこと糸のごとく白きこと雪のごとし 余国より出るそうめんの及ぶ所にあらず」と紹介されています。また、江戸時代に女子一般の修身書として広く用いられた『女大学』には、七夕に機織りや裁縫技術の向上を祈願した様子が描かれています。七夕に食べられるそうめんと、七夕伝説がいつから結び付けられるようになったのか定かではありませんが、そうめんづくりで麺を伸ばした乾燥させる道具がハタと呼ばれるのも興味深いことです。

『女大学』 国立国会図書館蔵

『女大学』 国立国会図書館蔵

ひたすら延ばす「手延べ」の技術

素麺はなぜ、これほどまでに細くなっていったのでしょうか。ひとつに、乾麺として細ければ早く乾くという利点がありますが、細くしすぎると簡単に折れて粉々になってしまい、保存食の機能が弱くなります。そのため、練り込んだ生地の表面に綿実油を塗りながら少しずつ少しずつ伸ばして細くする「手延べ」の技法が生み出されたのではないか、とも考えられているようです。この製法によって、小麦粉に含まれるグルテンを縄状にのばして麺を強くするだけでなく、つるつるとコシのある食感が生まれたのです。

麺を8の字に巻きつける「かけば」の様子 『日本山海名物図会』部分

麺を8の字に巻きつける「かけば」の様子 『日本山海名物図会』部分

そうめんづくりの季節は冬。作業が始まるのは厳寒の未明です。まずは小麦粉と塩と水をしっかりとこねて円盤状にし、うずまきの線を入れるように7~8センチメートルの紐状に切ります。そこから約2日かけて直径1ミリメートルに延ばすまで、一度も包丁を入れることはありません。現在では、熟成させたり縒りをかけたりする工程の多くを機械が担いますが、水加減など天候による違いを都度判断して味を決めるのは、この地で受け継がれてきた熟練の技であることに変わりはありません。

食べ方を詳しく記した『女重宝記』

17世紀末から版を重ねた『女重宝記』には、「索麺くふ(食う)事」の項があります。つゆの入った器を置いて箸で少しずつそうめんを掬って入れ、それから器を取り上げて口へ近づけて食べること、麺につゆをかけるような食べ方は決してしないことなど、そうめんの食べ方が事細かに記されており、いつの世も美味しい食べ方にこだわりを持つ人々の存在は、今に重ね合わせることができます。

『女重宝記』の「索麺くふ事」部分 国立国会図書館蔵

『女重宝記』の「索麺くふ事」部分 国立国会図書館蔵

茹で時間が1分半から極細では数十秒と、世界的にみても乾麺の中で圧倒的な短時間調理を誇るそうめん。スタンダードな食べ方はもちろん、具だくさんのチャンプルーやにゅう麺など、アレンジしやすくストックができるそうめんは、夏を乗り切るための力強い味方でもあります。おいしくいただくには、たっぷりのお湯を使うこと、それぞれ麺の太さにあわせて茹で過ぎないこと、手早く流水でもみ洗いすることがコツです。

奈良県三輪素麺工業協同組合
https://www.miwasoumen-kumiai.com/ 

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