麻の最上、奈良晒

原材料の青苧と奈良晒

麻の最上、奈良晒

本麻の奈良晒

本麻の奈良晒

高級麻織物「奈良晒」

井原西鶴(1642~1693)が最晩年に著した浮世草子『世間胸算用』(1692年)。元禄文化を代表する作家による「町人物(ちょうにんもの)」の短編集に、高級麻織物として名をはせた「奈良晒(ならさらし)」が登場します。

「商売のさらし布は、年中京都の呉服屋にかけうりて、代銀は毎年大暮に取りあつめて、京を大晦日の夜半(よなか)から、我先に仕舞ひ次第に、たいまつとぼしつれて、南都に入りこむさらしの銀、何千貫目といふ限りもなし」(『世間胸算用』巻四 「奈良の庭竈」より)

奈良晒の商人たちは、京都の呉服屋に掛売りしていた1年分の代金を大みそかに集金し、夜半に松明を灯して奈良に急いで戻ります。彼らが手にした銀は、何千貫目か分からないほどの大金であったと西鶴が書くように、奈良晒は17世紀中頃から18世紀前半まで、絹織物でいうなら西陣のように、麻織物で独占的な地位を占めていました。

奈良町の九割がたずさわった奈良晒

麻織物の歴史は古く、「布」といえば古代は麻布のことを指したようですが、「奈良晒」のはっきりとした起源はわかっていません。その工程は、麻の茎の繊維を取り出した青苧(おうそ/あおそ)から糸をとる「苧(お)うみ」と呼ばれる作業、「生平(きびら)」と呼ばれる布に仕上げる「布織り」の作業、真白に仕上げる「晒」の作業に大きく分かれます。経(たて)糸の準備は特に大変で、苧うみしてからヨリをかけて糊付けするなど、織るまでに9つの工程が必要です。興福寺の『多聞院日記』には晒のことが度々記されており、少なくとも室町時代後期(16世紀中頃)までには、寺社の注文によって奈良晒が作られていたことが分かります。

原材料の青苧と奈良晒

原材料の青苧と奈良晒

16世紀後半に徳川家康に仕えた清須美源四郎(きよすみ・げんしろう)が、灰汁抜きなど晒技術の改良に成功すると、雪のように白く光沢があり、どんな色にも染まりやすい奈良晒の評判は高まりました。その後、奈良晒は徳川幕府の御用品となり、「南都改(なんとあらため)」の朱印なしには売買できなくなるなど、特別な麻織物になっていきます。

江戸時代の百科事典『和漢三才図会』(1713年)に、「曝(さらし)布は和州奈良より出づる布の上品なり」と書かれ、全国の物産品を記した『萬金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)』(1732年)には、「奈良晒、麻の最上といふは南都なり。染めて色よく着て身に纏(まと)わず、汗をはじく。由緒ある旧都の水に、数千べんさらしあげたる名品」と称賛された奈良晒。生平をくり返し灰汁で煮て、天日にさらす佐保川の晒場の様子は、『大和名所図会』(1791年)や『日本山海名物図会』(1797年)にも描かれています。

佐保川での晒し作業が描かれた『大和名所図会』

佐保川での晒し作業が描かれた『大和名所図会』

晴天数十日を要した晒作業『日本山海名物図会』国立国会図書館蔵

晴天数十日を要した晒作業『日本山海名物図会』国立国会図書館蔵

武士の裃や富裕な町人の夏の衣料等に愛用された奈良晒は、最盛期に30~40万疋(ひき=1疋は2反)の年間生産量を誇りました。西鶴が『世間胸算用』を書いた17世紀末頃には、奈良町は9割の人が何らかの形で布にたずさわる「産業の町」だったのです。現在、観光地として人気のある奈良の町並みは、奈良晒を基幹産業としてにぎわった、当時のおもかげを残しています。

奈良晒の危機、そして伝承

東北地方の手まり歌にも歌われるほど隆盛を極めた奈良晒でしたが、18世紀中頃には衰退に転じていました。原因は、越後縮や近江上布などの進出により、各地から仕入れていた原料の青苧が高騰したことや、独占的地位に安住したことによる競争力の低下、さらには不良品の横行などもあったようです。そして、江戸幕府の終焉によって最大の顧客であった武士階層が消滅すると、生産量は激減。明治時代を迎えた奈良晒の商人は、茶巾や蚊帳地の生産などに活路を開くか、廃業を余儀なくされるなど苦境に立たされました。20世紀初頭には海外の万国博覧会で縞織物などが表彰されたものの、かつての勢いはなく、奈良晒の名前は次第に忘れられていきました。

しかし、奈良晒の発展期、その作り手は奈良町だけでなく近隣農村の女性たちにも広がっていました。京都府と三重県との県境にある奈良市月ヶ瀬地区をはじめとする大和高原では、明治期以降も苧うみや布織りが、農閑期の副業として細々と受け継がれていました。

月ヶ瀬梅林

月ヶ瀬梅林

1979年、奈良県教育委員会は「1、苧麻(ちょま)または大麻をすべて手紡ぎした糸を使用すること。2、手織りであること」という要件のもとに「奈良晒の紡織技術」を奈良県無形文化財に指定、1984年には当時の月ヶ瀬村が中心となり、月ヶ瀬奈良晒保存会が発足しました。保存会には、今でも県内外から会員が集まり、苧うみから布織りまでの技術を学び、伝承しています。丹精込めて織り上げた布は、月ヶ瀬梅林が見頃を迎える毎年3月に展示会を開催するほか、ユネスコ無形文化遺産に登録された奈良市上深川町の「題目立(だいもくたて)」はじめ、民俗芸能の衣装に提供されるなどしています。

水や米のとぎ汁に漬けてやわらかくした青苧を、竹のコクバシでさらにしごく

水や米のとぎ汁に漬けてやわらかくした青苧を、竹のコクバシでさらにしごく

指先で細かく裂いて両端を合わせ、切れないようにつないで糸にする

指先で細かく裂いて両端を合わせ、切れないようにつないで糸にする

青苧(右)と苧桶に貯めた糸(中上)、カセで巻き取った糸(左)

青苧(右)と苧桶に貯めた糸(中上)、カセで巻き取った糸(左)

現在、月ヶ瀬奈良晒保存会が取り寄せている麻もまた、群馬県の岩島麻保存会によって栽培、加工されているものです。一度途絶えてしまうと復興が難しいといわれる伝統技術、それを守り伝えようとする人たちの思いが、お互いの文化を支えあっています。

■主な参考資料
『奈良さらし』月ヶ瀬奈良晒保存会 初版1984年、2020年増補複製
『江戸時代人づくり風土記29ふるさとの人と知恵 奈良』農山漁村文化協会 1998

■協力 月ヶ瀬奈良晒保存会、荻田眞弓(帝塚山大学植村和代名誉教授織物講座助手、月ヶ瀬奈良晒保存会会員)

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