葛城の道

葛城の道

葛城の道

古代史の舞台、葛城

奈良市街の見晴らしのいい場所、若草山や二月堂、あるいは奈良県庁の屋上広場などから西南方向を眺めると、二上山の南隣に、葛城山から金剛山へと連なる雄大な山並みを見渡すことができます。大阪との県境にあたるこの連山の東麓は、5世紀に栄えた葛城(かつらぎ/かづらき)氏ゆかりの地です。葛城氏は、連合政権であったヤマト王権の中で最も古い有力豪族のひとつであったと考えられています。古事記や日本書紀に登場する葛城襲津彦(そつひこ)は4世紀末から5世紀にかけて活躍し、その娘の磐之媛(いわのひめ)は仁徳天皇の皇后となり、仁徳に続いて即位した履中、反正、允恭3天皇の母でもありました。

明日香方面から見た金剛葛城の峰

明日香方面から見た金剛葛城の峰

このように古くから歴史の舞台として登場する葛城には、大和盆地の東端にある「山の辺の道」と対をなすように、「葛城の道」と呼ばれる古道があります。白洲正子(1910~1998)は紀行集『かくれ里』中で、葛城の印象を次のように記しています。

…ただあまり古すぎて、山と山にまつわる物語しか残っていないのが、飛鳥や山の辺の道ほど人気のわかないゆえんかも知れない。(略)原始のままの風景や信仰ほど、人の想像力をそそるものはない。(略)街道筋からちょっと入ったくらいでは、葛城山はその謎めいた姿を現わしてはくれない…(「葛城のあたり」より)

南北約13キロメートルにわたる「葛城の道」の中で、今回は特に歴史のロマン感じる4つの社寺をご紹介します。

全国鴨社総本宮の高鴨神社

高鴨神社

高鴨神社

葛城の道の南端、金剛山の山麓標高約300メートルに鎮座するのが、平安中期の延喜式神名帳で最高の社格を誇る名神(みょうじん)大社、「高鴨(たかがも)神社」です。ここは古代豪族鴨族発祥の地であり、京都の賀茂神社をはじめ全国約300社ある加茂(鴨・賀茂)社の元宮として知られます。西向きに立つ鳥居を潜り抜け、大杉の聳える静寂な佇まいの参道を進むと、近年造替された真新しい拝殿の奥に、極彩色の彫刻を施した1543年再建の本殿があります(国の重要無形文化財)。拝殿脇には、四天王像のように基礎部分に天邪鬼が彫られた「あまのじゃく灯篭」があり、広大な境内には、摂社2社、末社16社が点在。春には歴代宮司により大切に育てられてきた500種余、約2000鉢のさくら草が見頃を迎えます。

高鴨神社東宮(1669年 奈良県指定文化財)

高鴨神社東宮(1669年 奈良県指定文化財)

隣接地の「葛城の道歴史文化館」には、葛城の道の航空写真や各種パネルが展示されています。

葛城の道歴史文化館では「葛城の道」の全貌を体感できる

葛城の道歴史文化館では「葛城の道」の全貌を体感できる

神話の里、高天彦神社

高鴨神社から2キロメートルほど北、山麓線と呼ばれる県道30号線脇の標識「神話の里 高天ヶ原」を目印に、のぼり坂をさらに1キロメートルほど西へ進むと、白雲嶺と呼ばれる円錐形の頂をご神体とする「高天彦(たかまひこ)神社」のある台地にたどり着きます。高鴨神社と同じく延喜式の名神大社であり、周辺は古くから神々の住む場所と伝えられてきました。

一間社流造りの高天彦神社本殿

一間社流造りの高天彦神社本殿

万葉集には、〈葛城の高間(たかま)の草野(かやの)はや領(し)りて標(しめ)刺さましを今そくやしき〉という歌が残されています(巻7 1337)。「高間の茅原をもっと早く知っていれば、自分のものにできたものを(そのように、あの娘を早く知りたかった)。今となっては悔しいものよ」と歌われるほど、この地が誰もが欲しがる豊かで重要な場所であったことがわかります。

上に駐車場はあるが、下から参道を歩くこともできる

上に駐車場はあるが、下から参道を歩くこともできる

1911年に奈良を旅行した幸田露伴(1867~1947)は、「葛城山の雨」という紀行文の中で「高天の邑(むら)の上なる大山即ち高天の山なるべく、さすれば金剛山は高天山に相当す」と記し、かつて葛城山に含まれていた金剛山の中でも、上手にあるこの地を高天の山と呼んだのだろうと、古代に思いをはせています。

いちごんさん、一言主神社

高天彦神社から山麓線に戻り、奈良と大阪を結ぶ水越峠に続く名柄(ながら)の交差点を北上してほどなくすると、葛城一言主(ひとことぬし)大神と幼尊尊(わかたけるのみこと=雄略天皇)を御祭神とする「一言主(ひとことぬし)神社」があります。社格は、高鴨、高天彦と同じ名神大社で、近世以降、「いちごんさん」の名前で親しまれ、一言の願いであれば何事も叶えてくれる神様として広く信仰されています。全国各地の一言主神社の総本社としても知られます。

一言主神社本殿

一言主神社本殿

樹齢推定1200年の乳銀杏

樹齢推定1200年の乳銀杏

允恭天皇の第5皇子である雄略天皇と一言主大神の出会いのシーンにはさまざまなバリエーションがありますが、なかでも古事記に描かれるシーンはミステリアスです。ある日、雄略天皇が大勢の供を連れて葛城山に登ると、自分と同じ格好をして紅い紐をついた青摺の衣を着た同じ格好の供を連れた行列と出くわします。そこで天皇は「この国に私のほかに大君はいないのに、なぜ同じ格好をしているのだ」と言うと、その人も同じことを言います。さらに雄略が「名を名乗れ」と言ったところ、その人は「問われたので先に名乗る。私は凶事も吉事も一言で解決する神、葛城一言主大神である」と答えました。恐れ入った天皇は、弓矢や衣服を一言主大神に献上した、というものです。

境内には土蜘蛛を頭と胴と足の3つに分けて埋めたと伝わる蜘蛛塚、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうしゃ)が調伏した黒蛇の上に置いたと伝わる亀石、樹齢推定1200年の御神木「乳銀杏」などがあり、紅葉の季節にひときわ美しい姿を見せてくれます。また、能の「葛城」は、この一言主神と役行者の説話や、古今和歌集の歌を組み合わせたものです。

秋は彼岸花の名所として有名

秋は彼岸花の名所として有名

圧巻の千体石仏、九品寺

一言主神社から北へ1キロメートル余りの九品寺へは、段々畑のあぜ道を抜け、綏靖(すいぜい)天皇葛城高丘宮跡を通る徒歩ルートがおすすめです。彼岸花の季節がとりわけ有名ですが、奈良盆地を眼下におさめる絶景は季節を問わず美しく、ゆったりとした時間が流れています。途中、動物除けの柵がありますので、開けたあとは必ず閉めて先へ進みます。

一言主神社と九品寺を結ぶ葛城の道

一言主神社と九品寺を結ぶ葛城の道

九品寺本堂

九品寺本堂

九品寺(くほんじ)は、奈良時代の高僧行基が開いたとされ、平安時代に弘法大師空海が、行基の遺跡を尋ねて再興した「戒那千坊(かいなせんぼう)」の一院でもあります。石段を上って本堂の裏にまわり込むと、九十九折のスロープにずらりと石仏が並んでいます。南北朝の戦いに参戦した当地の豪族楢原氏が身代わりも奉納したと伝わる「千体石仏」で、実際の数は二千体以上といわれます。

圧倒される千体石仏

圧倒される千体石仏

色とりどりの前掛けをした石仏に見守られるように上っていくと、お天気のいい日には大和三山をはっきりと見ることができます。

九品寺から眺める大和三山

九品寺から眺める大和三山

華やかな社寺が建ち並ぶわけでもなく、城下町のように整備されているわけでもない葛城の道ですが、ほかにも多くの史跡が点在しています。幹線道路が発達し、現代的な景観が増えた今も、神話の源流を感じさせてくれる景色が随所に残されています。

葛城の道や葛城氏に関する参考資料

てくてくまっぷ「葛城の道コース」近鉄日本鉄道 https://www.kintetsu.co.jp/zigyou/teku2/pdf/nara24.pdf 
「葛城山の雨」幸田露伴著『洗心録』 至誠堂書店 1914 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948856/176 
『大和万葉―その歌の風土』堀内民一著 創元社 1969
『かくれ里』白洲正子著 新潮社 1971(新版2010年)、講談社文芸文庫 1991
『葛城 近畿日本ブックス9』近畿文化会編 綜芸舎 1983
『大和の古道を行く』池田末則著 大阪書籍 1984
『神やどる大和』栗田勇著 新潮社 1986
『文学探究 奈良大和路』植西耕一 奈良新聞社 1989
『日本の歴史第03巻 大王から天皇へ』熊谷公男著 講談社 2001

登大路ホテル奈良からのアクセス

高鴨神社

Webサイト

http://www.takakamo.or.jp/index.php

住所

御所市鴨神1110 電話0745-66-0609

葛城の道歴史文化館

Webサイト

https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001456.html

住所

御所市鴨神1126 電話0745-66-1159 高鴨神社横

情報

・開館時間 10:00~16:00
・休館日 月曜日

一言主神社

Webサイト

https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001409.html

住所

御所市大字森脇432 電話0745-66-0178

※2020年10月現在の情報です。

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