奈良時代と藤原不比等

不比等一周忌に創建された興福寺北円堂

奈良時代と藤原不比等

激動の時代に生まれた不比等

2020年は、平城京遷都を主導し、律令制の確立に努めた藤原不比等(ふじわらのふひと)がこの世を去って、1300年にあたります。登大路ホテル奈良の南に隣接する興福寺北円堂は、不比等供養のため元明太上天皇と元正天皇が発願して長屋王に建立を命じ、一周忌にあたる721年8月3日に完成した廟堂です(現存する北円堂は1210年の再建で国宝)。

藤原不比等が生まれたのは、658年です。父 中臣鎌足(614~669)が中大兄皇子(626~671)とともに起こした「乙巳(いっし)の変」から13年が経っていましたが、国内では有間皇子(640~658)が謀反の疑いで処刑され、海外では百済が滅亡し日本が援軍を送った「白村江の戦」で大敗するなど、激動の時代が続いていました。遣唐使に選ばれた15歳上の兄 定恵(じょうえ)は、不比等8歳のときに帰国したものの直後に死去、4年後には父鎌足までもが亡くなります。鎌足の死からさらに2年後の672年には、天智天皇(中大兄皇子)が崩御、次期皇位をめぐる「壬申の乱」では、天智天皇の子である大友皇子が敗れ、弟の大海人皇子が天武天皇として即位しました。不比等の前半生は詳しくわかっていませんが、朝廷に仕えた田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ)の家で育てられ、その間に様々な学問を身につけたと考えられています。
※不比等生年には659年説もあります。

藤原不比等像『日本史蹟大系第2巻』1935(国会図書館蔵)

藤原不比等像『日本史蹟大系第2巻』1935(国会図書館蔵)

律令と遷都、外戚で実権掌握

不比等の名前が歴史に登場するのは、彼が30歳を過ぎてからのことです。『日本書紀』には、持統天皇3(689)年2月14日、不比等が判事(裁判官)に任命されたことが記されています。さらに701年施行された「大宝律令」の制定作業を担い、718年にはその修正版である「養老律令」の編纂を主導。律令とは、刑法にあたる「律」と、行政法にあたる「令」からなる国を統治する法典です。法律に明るい不比等は、律令国家の完成に大きな貢献を果たしたといえます。

有能な官僚としての顔のほかに、不比等にはしたたかな策略家の一面もありました。697年、15歳で即位した文武天皇(683~707)のもとに娘の宮子を入内させ、天皇家との関係を強化。4年後に文武と宮子のあいだに生まれたのが、不比等の孫にあたる首皇子(おびとのみこ)、のちの聖武天皇(701~756)です。文武天皇が25歳の若さで崩御すると、まだ幼い首皇子を確実に皇太子にするべく、首の祖母が元明天皇(661~721)、伯母が元正天皇(680~748)となって皇位を継承します。この間不比等は右大臣にまで昇進し、710年の平城京遷都を推し進めました。この遷都には、有力貴族たちの本拠地から遠ざかる目的もあったようです。714年に首皇子はめでたく皇太子となり、2年後に不比等の娘 安宿媛(あすかべひめ)と結婚。のちに皇族以外で初の皇后となる光明皇后(701~760)です。今ではなかなか考えにくい系図ですが、不比等の孫と娘(つまり甥と叔母)が結婚して天皇と皇后になることで、藤原氏は強大な権力を握ったと考えられます。ここに不比等の子孫、藤原道長を頂点とする摂関政治の基礎ができあがったといえるでしょう。

藤原氏と天皇家の系図

藤原氏と天皇家の系図

『尊卑分脈』の藤原氏系図(国会図書館蔵)

『尊卑分脈』の藤原氏系図(国会図書館蔵)

不比等抜きには語れぬ奈良時代

大臣としての活躍と外戚としての暗躍、藤原不比等を抜きに平城京を舞台とする奈良時代を語ることは不可能といっても過言ではありません。不比等は720年夏に63年の生涯を閉じますが、亡くなる直前に完成した『日本書紀』もまた、彼が関わった歴史書でした。不比等の死から4年後の724年には、悲願であった孫の首皇太子が即位し、聖武天皇が誕生します。

八面六臂の活躍をした不比等の墓所はわかっていません。歴代朝廷の高官名を列挙する『公卿補任(くぎょうぶにん)』は、不比等の遺言により「佐保山の推山岡(椎山岡の誤字か)」で火葬したことを伝えています。「椎山(ならやま)」は、聖武天皇と光明皇后が並んで眠る「佐保山南陵東陵」の北西伝いにあたります。現在の鴻ノ池運動公園南端に建てられた藤原不比等顕彰碑の脇道から南を見下ろすと、藤原氏の氏寺である興福寺五重塔が美しくそびえています。

不比等一周忌に北円堂を建立した長屋王は、8年後の729年に不比等の息子たちによって自害に追い込まれました。その藤原四兄弟もまた、長屋王の変から8年後の737年に疫病であっけなくこの世を去ります。1300年の時を経て、大極殿の復元や興福寺中金堂の再建など「天平の文化空間の再構成」が進む現在の奈良の地を、不比等はどのように眺めているのでしょうか。

椎岡墓の記述『日本史蹟大系第2巻』1935(国会図書館蔵)

椎岡墓の記述『日本史蹟大系第2巻』1935(国会図書館蔵)

藤原不比等顕彰碑(鴻ノ池運動公園南端)

藤原不比等顕彰碑(鴻ノ池運動公園南端)

主な参考資料

『古代を創った人びと 藤原不比等』奈良県 2016
『日本の歴史04 平城京と木簡の世紀』渡辺晃宏 講談社 2001
『藤原氏物語-栄華の謎を解く』高橋崇 新人物往来社 1998
『藤原氏千年』朧谷寿 講談社現代新書 1996
『日本の歴史④ 天平の時代』栄原永遠男 集英社 1991

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