万葉集の時代

甘樫丘から明日香村を臨む

万葉集の時代

「日本最古にして最高の歌集」

日本文学研究の第一人者であったドナルド・キーン氏が、「体験と心情を直截(ちょくせつ)に表現した日本最古にして最高の歌集」と賛辞した「万葉集」は、7世紀から8世紀後半までを中心に詠まれた4500余首の歌を20巻に収めた歌集です。しかし、この歌集がいつ、誰によって、どのような目的で編まれたのか明確には分かっておらず、万葉集という名前の由来も解明されてはいません。多くの謎が残されているにも関わらず、私たちに古代の様子を生き生きと伝えてくれる万葉集とは、いったいどのような歌集なのでしょうか。今回から数回、万葉集について奈良とのかかわりを中心にご紹介します。

「万葉集品物図絵」鹿持雅澄(江戸時代) 国会図書館蔵

「万葉集品物図絵」鹿持雅澄(江戸時代) 国会図書館蔵

3つの部立と4つの時代

万葉集は、奈良に都があった飛鳥時代から奈良時代、約130年間における天皇、貴族、役人、僧侶、農民を含む人たちを主な作者とし、それ以前の伝承歌も採録した現存する最古の歌集です。歌の種類はおおまかに次の3つ、公式行事などで詠まれた「雑歌(ぞうか)」、恋のやりとりを中心とした「相聞(そうもん)」、死者を悼む「挽歌(ばんか)」に分かれ、「三大部立(ぶたて)」と呼ばれます。

その形式は、現代も愛好者が多い「短歌」(57577の計31音)が大部分を占め、「長歌(ちょうか)」(57のリズムをくり返し577で結ぶ)、「旋頭歌(せどうか)」(577・577)、その他少数ながら漢詩なども収録されています。時代区分は一般的に、舒明天皇即位(629年)から壬申の乱(672年)までの第1期、平城遷都(710年)までの第2期、大伴旅人(おおとものたびと)と山上憶良(やまのうえのおくら)が相次いで亡くなる(733年)までの第3期、そして旅人の息子である大伴家持(おおとものやかもち)が最終歌を詠む(759年)までの第4期に分けられます。

万葉集の大まかな時代区分

万葉集の大まかな時代区分

万葉集の編集方針

万葉集の構成を分かりづらくしているのが、統一された編集方針というべきものがないことです。20巻の内容は大きくみると年代を追って編まれてはいるものの、各巻の特色はさまざまで、部立別、季節別、作者名の有無別、東歌(あずまうた=東国地方の歌謡)、旅の歌などに分けられます。さらに巻17から巻20までの4巻は、大伴家持(718~785)の歌日記を中心に、家持が採集した防人歌(さきもりうた=兵士の歌)も含みます。このような構成は、編み始めてから完成するまで複数人、複数回にわたる編纂を経て、大伴家持が最終的な調整をしたためだといわれています。「古事記」や「古今和歌集」など万葉集の前後に成立した文献や、万葉集に収められた歌の日付けなどから、7世紀後半に持統天皇の意思を介して編み始められ、8世紀半ばの聖武天皇の時代に巻16までがほぼ完成し、9世紀初頭の平城天皇の時代に公開されたと考えられていますが、諸説があり、はっきりとしたことはわかっていません。

万葉仮名と写本

万葉集は「現存する最古の歌集」ではあるものの、その原本は見つかっておらず、人から人へと渡され、書き写された「写本」が、古代と現代との橋渡しをしてくれています。また、万葉集の時代には、まだ平仮名と片仮名が発明されておらず、その表記は表意と表音を駆使した漢字で書かれていました。いわゆる「万葉仮名」と呼ばれるものは、この表音文字にあたります。私たちが万葉集を現在の日本語に近いかたちで読めるのは、それぞれの時代に万葉集を書き写し、訓読をほどこしながら読み解いてきた、数多くの先人のおかげなのです。

「万葉集」写本(江戸時代初期) 国会図書館蔵

「万葉集」写本(江戸時代初期) 国会図書館蔵

歌に込めた言霊

万葉集には全国約1200の地名が詠まれています。そのうち大和(奈良)の地名は約300。地名の詠まれた歌は、各地のようすを今に伝えてくれるとともに、朝廷の権力の及ぶ範囲の記録でもあります。万葉集巻1の冒頭は、大和王権の象徴ともいえる雄略天皇の「名告り(なのり)」の長歌ではじまり、天智天皇と天武天皇の父である舒明天皇の「国見」の歌へと続きます。

  大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど
  とりよろふ 天の香具山(かぐやま)
  登り立ち 国見をすれば
  国原は 煙(けぶり)立ち立つ
  海原は 鷗(かまめ)立ち立つ
  うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は

  (大和にはたくさんの山があるが
  とりわけ立派な天の香具山よ
  この山の上に立って国見をすれば
  国原には煙がさかんに立ち活気がある
  海原には鷗がさかんに飛んでいる
  ほんとうに立派な国であることよ 蜻蛉島といわれる大和の国は)

大和盆地から海は実際に見えませんが、言葉にして詠むことで、海原までも広い範囲を治めているのが自分であるという宣言の歌でもあったのです。標高148メートルの甘樫丘(あまかしのおか)展望台に上ると、藤原宮跡とそれを取り囲むように点在する大和三山、さらに大和盆地を囲む生駒、二上、葛城、金剛の山々を北西に見渡すことができるだけでなく、東南に広がる明日香の町並みを俯瞰することができます。

甘樫丘から大和三山をのぞむ(左から畝傍山・耳成山・香久山)

甘樫丘から大和三山をのぞむ(左から畝傍山・耳成山・香久山)

また、4500首を超える万葉集の最後を飾る一首は、大伴家持が天平宝字3(759)年の正月に詠んだ次の一首です。

  新しき年の初めの初春(はつはる)の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)

  (新しい年のはじめの初春の今日に降る雪、
  この降り積もる雪のように、ますます良い事が積もりますように)

家持はこのとき41歳。新年の積雪は豊作の瑞兆とされ、またこの年は19年に一度、新年と立春が重なる「歳旦立春」と呼ばれる年でした。家持が亡くなるのはこれよりずっと先の67歳ですが、このいかにもおめでたい一首で万葉集は閉じられています。万葉集にはもちろん、悲しみを詠んだ歌も数多く収められています。しかし、言霊(ことだま)の信じられていた時代、20巻の最後に縁起の良い言葉を重ねることで、今の世がますます繁栄し、この歌集が代々詠み継がれてゆくよう、家持は祈りを込めたのだと考えられます。

奈良県立万葉文化館

明日香村にある奈良県立万葉文化館

明日香村にある奈良県立万葉文化館

飛鳥時代の貴重な遺跡が残る明日香村。「万葉のふるさと」と呼ばれるこの土地に、万葉集を中心とした古代文化に関するさまざまな資料が集まる「奈良県立万葉文化館」があります。実物大の人形や映像、万葉の世界を紹介するミニシアターなどの展示のほか、屋外庭園には万葉集に詠まれた木々や草花、万葉歌碑が数多く集められています。万葉の時代を生きた人々の思いを身近に感じ、学ぶことのできる施設です。

主な参考資料

『新潮日本古典集成 万葉集』1~5 新潮社 1976~1984
『日本文学の歴史1 古代・中世編』ドナルド・キーン著、土屋政雄訳 中央公論社 1994
『万葉集を知る事典』桜井満監修 東京堂出版 2000
『日本の古典をよむ④ 万葉集』小学館、2008
『奈良県立万葉文化館ガイドブック』2015

登大路ホテル奈良からのアクセス

奈良県立万葉文化館

Webサイト

http://www.manyo.jp/

住所

高市郡明日香村飛鳥10

アクセス

近鉄橿原神宮駅東口を下車、明日香周遊バス:赤かめで「万葉文化館西口」下車すぐ

情報

開館時間 10:00~17:30(入館は17:00まで)
休館日 月曜日(月曜日が祭日の場合は翌平日)、年末年始、展示替日
入館無料(日本画展示室の展覧会は有料)
駐車場あり(無料、普通自動車107台)

甘樫丘展望台

Webサイト

https://www.asuka-park.go.jp/area/amakashinooka/midokoro/#midokoro01

住所

明日香村大字豊浦

アクセス

近鉄橿原神宮駅東口を下車、明日香周遊バス:赤かめで「甘樫丘」下車徒歩15分

情報

駐車場あり(国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区川原駐車場:29台)

※2021年01月現在の情報です。

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