万葉びとのくらし

若草山からみた平城京一帯

万葉びとのくらし

万葉集が編まれたとされる舒明天皇時代から奈良時代後半(629~759年頃)、人々はどのようなくらしをしていたのでしょうか。天皇から庶民まで、4500余首を集める万葉集は、万葉びとのくらしの一端を知ることのできる貴重な史料でもあります。ただし、身分や地域差による生活様式の違いは歴然としてあり、加えて編纂したのは当時の上層階級にいた人たちであるため、よく言われる「国民歌集」というわけではないことは、心に留めておいた方がいいかもしれません。

それでも万葉集は、当時の人々のくらしぶりや現代に残る習慣など、多くのことを私たちに教えてくれます。今回はその中から、いくつかをご紹介します。

「市」は買い物と出会いの場

西の市にただ独り出でて眼並(めなら)べず
買ひにし絹の商(あき)じこりかも (巻7・1264 古歌集)

(西の市に一人で出かけてたいして見比べもしないで
買ってしまった絹は買い損ないだったなあ!)

平城京には東西に市(いち)が設けられており、「西の市」は、現在の大和郡山市九条町付近にあったと考えられています。市では、歌にある絹布をはじめ、穀物や野菜、干し柿、海産物から食器類まで、あらゆるものが売られており、広場は男女が出会う「歌垣(うたがき)」の会場でもありました。天平6(734)年の2月1日には、平城京の朱雀門前に240人の男女が集まり、足を踏み鳴らし拍子をとる「踏歌(とうか)」の儀式が行われています。掲出歌は、吟味せずに買い物をしてしまった自身の失敗をユーモラスに嘆いているようですが、歌垣で選んだ相手のことを高価な絹になぞらえ、自分には不相応で持て余しているという意味も隠れているようです。

市の広場で歌に興じる男女(奈良県立万葉文化館)

市の広場で歌に興じる男女(奈良県立万葉文化館)

万葉時代の家族

たらちねの母が呼ぶ名を申さめど
路行く人を誰と知りてか(巻12・3102 作者未詳)

(名前を教えてほしいのなら、母がわたしを呼ぶ名を申しますが、
  そういうあなたは誰ですか。道で会っただけでは教えられません)

万葉時代は、夫が妻の家を訪ねる「妻問い婚」から始まる母系社会でした。年頃の娘にとって、自由恋愛を阻むのは母親という場合が多かったようです。上記の歌は、桜井市金屋にあった海柘榴市(つばいち)で、男性から声を掛けられた娘が答えた歌です。古代の母子関係だけでなく、名前はいのちと同等に大切なもので、軽々しく教えてはならなかったことがよくわかります。

家族の歌といえば外せないのが、山上憶良(やまのうえのおくら=660年頃~733年頃)が詠んだ「貧窮問答歌(巻5・892、893)」です。この歌は、前半で「貧者(憶良)」が問い、後半で「窮者」が答える長歌と、それに添える短歌一首で構成されています。遣唐使として唐に渡り、帰国後従五位下まで昇進した憶良が貧しかったわけはないでしょうが、貧しい聞き手が、さらなる困窮者の本音を引き出す構成によって、庶民生活の実態が、ルポルタージュのように浮かび上がります。

【貧者からの問い】
風雑(ま)じり 雨降る夜の 雨雑じり 雪降る夜は …(略)
我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ …(略)
この時は 如何にしつつか 汝(な)が世は渡る

 (風に交じって雨降る夜、雨に交じって雪降る夜は
  私よりも貧しいあなたの父母は空腹で寒いだろう
  こんな時、あなたはどうやって世を渡っているというのですか)

【窮者の答え】
天地は 広しといへど 吾が為は 狭くやなりぬる …(略)
襤褸(かかふ)のみ 肩にうち懸け 
伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に …(略)
甑(こしき)には 蜘蛛の巣懸きて …(略)
里長(さとをさ)が声は 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ
かくばかり 術なきものか 世間(よのなか)の道

(天地は広大というけれど、自分には狭くなっていくようです。
 ぼろを肩にかけて、低く傾いた小屋の中にいます
 米がないので、蒸し器には蜘蛛の巣がかかっています
 鞭をもった村長が、寝屋の戸まで来て呼んでいます
 これほど術なきものなのでしょうか、世の中というものは)

世の中を憂しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

(この世がつらく、肩身が狭いとおもうけれど
 どこにも飛んでいけない 私は鳥ではないから)

万葉びとと季節の行事

春日野に煙立つ見ゆ少女(をとめ)らし
春野のうはぎ採みて煮らしも(巻10・1879 作者未詳)

(春日野に煙が立っているのが見える。
 おとめたちが春野のヨメナを摘んで煮ているんだろう)

うはぎ(ヨメナ)の花

うはぎ(ヨメナ)の花

「春日野」は現在より広範囲をさす春日山西麓一帯の野をさし、初秋に淡紫色の花を咲かせる山野草「うはぎ(ヨメナ)」の若葉は、古くから食用にされてきました。文芸評論家の山本健吉は、「この歌は処女たちが、神聖な早乙女の資格を得るために、山に籠って自分たちだけで煮炊きする隔離生活を送っている情景である」としています。また万葉学者の犬養孝は、「乙女たちが春に若菜を摘んで煮るのは、若さをたもつための習俗である」とも述べています。宮中の正月行事でもあったという「若菜摘み」は、万葉集の一首目、雄略天皇の歌のほか、「竹取物語」のルーツともいわれる「竹取翁」の歌群(巻16・3791~3802)などにも登場します。

春日野園地から若草山を望む

春日野園地から若草山を望む

次の歌は恋の歌ですが、「君(あなた)」を導き出す序詞(じょことば/じょし)にあたる上句が、「水口祭(みなくちまつり)」を指すのではないかとされています。

青柳の枝きり下ろし斎種(ゆたね)蒔き
ゆゆしき君に恋ひ渡るかも(巻15・3603 作者未詳)

(青柳の枝を切って田に挿して、浄めた種を蒔くときのように、
 そのようにかしこむべきあなたに恋焦がれているのです)

水口祭とは、神社の御田植祭(おたうえさい)などで授与された松苗やお札を、苗代の水口に挿して豊作を祈る民俗行事です。稲の育ちと恋の行方に、祈るような気持ちを掛け合わせた万葉の歌が、古代の人々と私たちとを時を超えて結んでくれます。

水口祭に使う松苗とお札(大和郡山市小泉神社の御田植祭)

水口祭に使う松苗とお札(大和郡山市小泉神社の御田植祭)

松苗には包んだコメが挟まれている

松苗には包んだコメが挟まれている

主な参考資料

『新潮日本古典集成 万葉集』1~5 新潮社 1976~1984
『万葉集 全訳注原文付』1~5 中西進 講談社文庫 1978~1985
『万葉びとの憧憬』桜井満 桜楓社 1956
『カメラ紀行 萬葉の歌』山本健吉 文/葛西宗誠 写真 淡交社 1957
『万葉の旅(上)』犬養孝 現代教養文庫 1964
『研究資料日本古典文学 ⑤万葉・歌謡』明治書院 1985
『万葉集を知る事典』桜井満監修 東京堂出版 2000
『万葉の心を読む』上野誠 角川文庫 2013
『奈良県立万葉文化館ガイドブック』2015

関連特集

万葉集の時代 https://noborioji.com/noboriojiselect/article/111

登大路ホテル奈良からのアクセス

春日野園地

Webサイト

http://nara-park.com/spot/kasugano/

住所

奈良市雑司町

アクセス

登大路を東へ1.2キロメートル、徒歩約15分

奈良県立万葉文化館

Webサイト

http://www.manyo.jp/

住所

高市郡明日香村飛鳥10

アクセス

近鉄橿原神宮駅東口を下車、明日香周遊バス:赤かめで「万葉文化館西口」下車すぐ

情報

開館時間 10:00~17:30(入館は17:00まで)
休館日 月曜日(月曜日が祭日の場合は翌平日)、年末年始、展示替日
入館無料(日本画展示室の展覧会は有料)
駐車場あり(無料、普通自動車107台)

※2021年01月現在の情報です。

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