佐紀 水辺の風景

水上池西側から若草山方面を望む

佐紀 水辺の風景

平城京の北に連なる水辺の風景

平城宮跡に復元された大極殿の北側一帯に、奈良にはめずらしい水辺の風景が広がります。東はJR大和路線(関西本線)と国道24号線、西はおおよそ近鉄京都線までの一帯を、古くから「佐紀(さき)」と呼び、その多くが「歴史的風土保存地域」に指定されています。『続日本紀』に「松林苑(しょうりんえん)」と記載された広大な奈良時代の離宮跡であると同時に、さらに古い時代の大型古墳や池が今も姿をとどめる歴史の道です。

奈良細見図(1889年)より 国立国会図書館蔵

奈良細見図(1889年)より 国立国会図書館蔵

復元大極殿と、その東に位置する第二次大極殿跡のあいだを北へ進む道、現在の県道751線を「歌姫街道」といいます。平城京造営より古くから使われてきた峠越えの道で、「歌姫越え」「平城山(ならやま)越え」とも呼ばれ、額田王の歌や日本書紀にも記された主要な街道でした。

水辺の風景を形成しているのは、4世紀から5世紀にかけて築造されたとされる「佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群」です(「盾列」の読みは「たたなみ」とも)。歌姫街道の東側には「ヒシアゲ古墳」、その南に隣接する「水上池(みなかみいけ)」、水上池の東に並ぶ「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」が一群をなしています。街道の西側には「佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳」「佐紀石塚山古墳」などが集まり、その築造はともに4世紀から5世紀頃と推定されています。 ※古墳の呼称は複数あります。

伝説の皇后「磐之媛」

仁徳天皇皇后磐之媛陵と伝わるヒシアゲ古墳

仁徳天皇皇后磐之媛陵と伝わるヒシアゲ古墳

2019年5月、世界遺産への登録が発表された、大阪の「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群」。その中心的遺産「大山(だいせん)古墳」に眠るとされる仁徳天皇の皇后、磐之媛(いわのひめ)が眠るのが、仁徳陵から30キロメートル以上も離れた佐紀の地にある「ヒシアゲ古墳(ヒシャゲとも)」だと伝わります。磐之媛の名が語り継がれるのは、万葉集に残された数首の相聞歌(そうもんか)によるところが大きいといえます。夫である仁徳天皇が、自分の留守のあいだに若い皇女を妃にしてしまった。それを知った磐之媛は、悲しみと嫉妬で天皇のもとへ帰らず、迎えに来た天皇にも会わず、とうとうこの地で亡くなってしまった、という話が日本書紀に残ります。

   君が行き 日(け)長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ(万葉集・巻二・85)
   (あなたが行ってしまって長い月日が経ってしまいました。あの山を越えて迎えに行きま
    しょうか、それともこのまま待ち続けましょうか)

実際には、権力争いを男女の話に仕立て、さまざまな伝承歌を磐之媛の作としてまとめたとする説が有力ですが、大正から昭和にかけて活躍した歌人、北見志保子が、磐之媛の伝説と自らの境遇を重ねて詠んだ「平城山(ならやま)」の歌は、戦後流行歌となりました。

多くの野鳥が集まる水上池に面し、ぐるりには鬱蒼としげる森に包まれた遊歩道を持つ磐之媛陵。あたりをそぞろ歩いて、古代のロマンに思いを巡らすのも楽しいひとときです。

水上池の南から見た磐之媛陵

水上池の南から見た磐之媛陵

水上池北側の自転車道にある万葉歌碑

水上池北側の自転車道にある万葉歌碑

志賀直哉も歩いたウワナベとコナベ

国道24号線と関西本線の西に隣接するウワナベ古墳

国道24号線と関西本線の西に隣接するウワナベ古墳

大正時代末期から15年近く奈良に居を構え、「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉。随筆「日曜日」には、彼が当時幼かった子どもたちを連れて、佐紀一帯を散策したことが細やかに記されています。その中の一節、「法華寺の横から大鍋小鍋の方へ行く路に小鮒の沢山いるところがあるが」の中の「大鍋小鍋」が、「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」と呼ばれる陵墓参考地です。明治時代中頃に印刷された「奈良細見図」(本ページ冒頭)にも、「大ナベ」「小ナベ」の文字がみつかることから、当時はそのように呼ばれていたようです。一段高台になった一帯は、奈良の街はもちろん、西の生駒山を間近に感じることができる開放的な空間です。

ウワナベ古墳の東南から生駒山を望む

ウワナベ古墳の東南から生駒山を望む

周濠の水の色が印象的なコナベ古墳全景

周濠の水の色が印象的なコナベ古墳全景

ウワナベ古墳の西側がコナベ古墳です。航空自衛隊奈良基地との間を道なりに北へ抜けると磐之媛陵(ヒシアゲ古墳)の方面へ、周濠の南端をそのまま西へ進むと水上池の東縁につながります。

森に迷い込んだような山陵町の古墳群

陵墓の間を抜ける珍しい小道

陵墓の間を抜ける珍しい小道

歌姫街道の西側、西大寺のショッピングセンターや民家が近くにあるとは思えないほど閑かな佇まいを見せるのが、その名も山陵町にある「佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳」「佐紀石塚山古墳」などの古墳群です。古墳のあいだの小道の東側にある「佐紀陵山古墳」は、垂仁天皇の皇后 日葉酢媛(ひばすひめ)の陵墓とされています。日本書紀には、野見宿禰(のみのすくね)の進言によって、殉死の風習に代わる埴輪を最初に埋めたのが、日葉酢媛陵だと記されています。考古学的には疑問が残るようですが、この古墳では実際に円筒埴輪や墳丘を覆う葺石などが見つかっています。

日葉酢媛陵の西の佐紀石塚山古墳は成務天皇陵です。その南の森には、聖武天皇の娘として初の女性皇太子となり、のちに孝謙天皇、称徳天皇として二度天皇の座についた阿倍内親王の陵墓があります。古代小説や考古学、さらには地形的なアプローチなど、興味の尽きない佐紀の地です。

たっぷりと水をたたえる日葉酢媛陵

たっぷりと水をたたえる日葉酢媛陵

西大寺の市街地からほど近い成務天皇陵

西大寺の市街地からほど近い成務天皇陵

登大路ホテル奈良からのアクセス

磐之媛陵(ヒシアゲ古墳)・水上池

Webサイト

http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/03history/06kofun/01north_area/iwanohimeryokofun/

住所

奈良市佐紀町

アクセス

近鉄奈良駅から奈良交通バス「大和西大寺駅」または「航空自衛隊」行きに乗り、「航空自衛隊」下車、北西へ徒歩約6分(500メートルほど)

ウワナベ・コナベ古墳

Webサイト

http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/03history/06kofun/01north_area/uwanabekofun-konabekofun/

住所

奈良市法華寺町宇和奈辺1823周辺

アクセス

近鉄奈良駅から奈良交通バス「大和西大寺駅」または「航空自衛隊」行きに乗り、「航空自衛隊」下車すぐ(東がウワナベ古墳、西がコナベ古墳)

日葉酢媛陵(佐紀陵山古墳)・成務天皇陵(佐紀石塚山古墳)

Webサイト

http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/03history/06kofun/01north_area/hibasuhimeryokofun/

住所

奈良市山陵町

アクセス

近鉄奈良駅から奈良交通バス「大和西大寺駅」行きに乗り、「二条町」下車、北へ徒歩約10分(700メートルほど)

※2019年05月現在の情報です。

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