穂先にいのちを託す 奈良筆 田中

空に向かってまっすぐ伸びるような奈良筆

穂先にいのちを託す 奈良筆 田中

日本で独自の発展を遂げた奈良筆

弘法大師 空海が、唐から持ち帰ったとされる筆の製法。当時、仏教の研究に励む奈良の学僧たちにとって、筆は必需品でした。日本の筆づくりは、空海が奈良の坂名井清川(さかない・きよかわ)に、その作り方を伝授したことにはじまるといわれます。やがて、漢字をくずして丸みを帯びた「かな文字」が日本固有の文字として発生すると、しなやかで美しい文字を書くために、より繊細な筆が求められるようになりました。こうして、大陸の文化を取り入れる中にも独自の発展を遂げてきたのが、現在、伝統的工芸品に指定されている「奈良筆」です。

奈良町のしずかな路地にある「奈良筆 田中」

奈良町のしずかな路地にある「奈良筆 田中」

人生を変えた新聞広告

現在、奈良筆の伝統工芸士として認定されているのは10名足らず。その中の一人、奈良町の一角に「奈良筆 田中」の工房兼店舗を構える田中千代美さんは、異色の経歴の持ち主です。奈良毛筆協同組合は、伝統的工芸品に指定された奈良筆の後継者を養成するため、未経験者も含めた研修生を募集。千代美さんは、最後の募集年となった1982年に第6期生として筆づくりの門を叩いたのです。

「それまでは主婦でした。筆もそれほど使わないし、結婚して子どもが生まれて、私にできることはなんだろうと思っていたときに、新聞で募集を見つけたんです」

筆づくりで一番重要だという原毛選びをする伝統工芸士、田中千代美氏

筆づくりで一番重要だという原毛選びをする伝統工芸士、田中千代美氏

授業は週5日、朝から夕方まで1年間続きました。20名以上いた同期生のうち、筆づくりを職業に選んだのは2人。師匠の指導を受けながら、やがて独立。1997年に伝統工芸士として国から認定されました。

「35年以上経ちますが、いやだと思ったことがないんです。作業を始めたらずっとしていたい。やろうと思えば無限にできるのが筆づくり」という千代美さん。「伝統工芸士になるためには、実技のほかに伝産法(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)の筆記試験があるんです。とっても分厚いテキストを読み込んで、あれは大変でしたね」。人生を変えた新聞の広告記事は、今もお守りとして大切に持ち歩いています。

感覚を研ぎ澄ませて命毛に向き合う

筆は大きく分けて、軸と穂からできています。穂のかたちは基本的に円錐形で、「命毛(いのちげ)」と呼ばれる芯の毛を頂点とする穂先の美しさが、筆の質を決めます。しかし、実際の原毛にはそれぞれクセがあります。レシピ通りに作っても同じものができないのは料理と同じですが、それをいかに美しいかたちにするかが、伝統工芸士の技術なのだと千代美さんはいいます。

奈良筆づくりの特徴「練り混ぜ」技法

奈良筆づくりの特徴「練り混ぜ」技法

奈良筆の特徴とされる技法は、山羊、馬、狸など動物の毛を何種類も混ぜ、ムラがなくなるまで伸ばし広げては巻くことをくり返す「練り混ぜ」の技法です。「練り混ぜが注目されがちですが、原毛を用途別に選別する毛組(けぐみ)と呼ばれる最初の作業が、一番大切で一番むずかしいんです」と、千代美さんは素早く毛を分けていきます。

「手の感触と、目が命です。10ランクに分け、3分の1は捨ててしまいます。最初はこれができないのですが、触っていると不思議と見えてくる。優柔不断では選べない。選ぶというのは、毛を見ることです」

指で確かめながら「半さし」を穂にあて、悪い毛を丁寧に取り除く

指で確かめながら「半さし」を穂にあて、悪い毛を丁寧に取り除く

工程はおよそ12に分かれます。「毛組」をしたあとの穂は、綿毛などを取り除く「ぬき上げ」、毛の油分を取り癖をなおす「手もみ」、悪い毛を除去しながら毛先を揃える「先揃え」、水をふくませ毛をカットする「平目」、長短の毛を組み合わせて穂を円錐形にする「形づけ」などを経て、「練り混ぜ」へ。さらに、悪い毛は切れない刃をつけた「半さし」という小刀で「さらえ」をして除きますが、さらえをし過ぎると「味のない」筆になるといい、筆によっても職人によっても加減が変わります。練り混ぜた毛は、布海苔(ふのり)を加えて筆1本分ずつにわけ、丸いコマを使って太さを決める「芯立て」をしてから一度乾燥させます。そこに薄く伸ばした「化粧毛」を外側に巻いて再び乾燥させ、穂首を麻糸で縛り、焼きゴテで尻の部分を焼しめる「お締め」を行うと穂の完成です。筆軸の内側を丸剣で削る「くり込み」をして穂首を接着し、最後に布海苔を含ませた穂に糸を巻くことで形を整え、乾燥させて仕上げます。筆の種類によっては、奈良でただ一人となった手彫り師に文字を刻んでもらい、この世に一本しかない奈良筆が完成します。

筆軸の内側を穂にあわせて削る「くり込み」

筆軸の内側を穂にあわせて削る「くり込み」

丸く削られた筆軸の穴にピタリと穂が入る

丸く削られた筆軸の穴にピタリと穂が入る

「本物の筆」のこれから

分業はせず、すべての作業を一人の職人が仕上げる奈良筆。匠の技を支えるのが、使い慣れたさまざまな道具たちです。今では入手が困難になった丈夫な国産の櫛を、千代美さんは大切に使い続けています。伝統の技がクローズアップされる中にも、稀少な原毛から東北産の布海苔といった材料まで、調達の困難や後継者の不在という問題がひそんでいます。

自作の筆に囲まれて

自作の筆に囲まれて

誕生筆や筆づくり体験も

用途に応じて揃えられた「千代美作」の奈良筆

用途に応じて揃えられた「千代美作」の奈良筆

「奈良筆 田中」では、初心者が気軽に手に出来るものから書家の依頼で開発した筆まで、千代美さんの手によって丁寧に仕上げられた奈良筆が揃います。赤ちゃんの毛を使った「誕生筆」は、一生の記念品として人気です。筆づくり体験は、時間に合わせて2コースあり、30分から1時間程度で楽しむことができます。

「昔の人にとって、筆は日常的に使う文房具でした。上手下手は気にせず、まずは手にしてほしいですね。特に仮名文字のふんわりとしたやわらかさは、現在の筆ペンではなかなか出せないのではないでしょうか」という千代美さん。伝えたい文字があり、そのための道具として生み出された筆。自らの手で文字を書くことが少なくなってしまった現代に、改めて出逢い直したい文具です。

初めて筆を選ぶ方におすすめの「蓮華」と「福寿」

初めて筆を選ぶ方におすすめの「蓮華」と「福寿」

手ぶらで楽しめる奈良筆づくり体験(要予約)

手ぶらで楽しめる奈良筆づくり体験(要予約)

写真:奥山晴日

登大路ホテル奈良からのアクセス

奈良筆 田中

Webサイト

http://www.narafude.jp/

住所

奈良市公納堂町6 電話090-8483-4018 FAX 0742-62-0385

アクセス

猿沢池の東端を南へ。元興寺を通り、次の交差点を東へ。約15分(約1.1キロメートル)

情報

開店時間 11:00~17:00(不定休のため事前電話連絡が確実です)

※2019年10月現在の情報です。

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