奈良人形/一刀彫

春日若宮おん祭で奉納される盃台

奈良人形/一刀彫

奈良人形の源流

力強く彫り上げた断面に華やかな彩色が繊細にほどこされた、奈良を代表する伝統工芸品のひとつが、「奈良人形」またの名を「奈良一刀彫(いっとうぼり)」です。その源流は古く、保延2(1136)年に始められた「春日若宮おん祭」の「田楽座(でんがくざ)」にあるといわれています。

左中央の田楽法師が頭に頂いているのが「花笠」(『春日大宮若宮御祭礼図』18世紀中頃 より)

左中央の田楽法師が頭に頂いているのが「花笠」(『春日大宮若宮御祭礼図』18世紀中頃 より)

豊作を祈願する農村行事のひとつであった「田楽」は、笛や鼓に曲芸などが加わることで人気の芸能となり、平安時代には「田楽法師」と呼ばれる職業集団が登場することとなります。その装束は競い合うように華麗になり、なかでも春日若宮おん祭で笛役の法師がかぶる「花笠」は、毎年美しい意匠をこらして発展しました。その花笠に飾られている人形こそが、奈良人形のルーツだといわれています。

興福寺大乗院の門跡三代にわたる日記『大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)』には、文明17(1485)年のおん祭の様子が記されています。田楽法師の飾り笠には蘭陵王や納曽利など舞楽の人形や島をかたどる舞台などが配置され、牡丹の造花や金色の太陽と月など、そのきらびやかな様に衆人は目を奪われたのだとか。

現在のおん祭でも花笠は健在です。笠というにはあまりに重く装飾的で、お渡りの際は二人がかりで運ばれますが、「松の下式」や「お旅所祭」で大きく色鮮やかな花笠を堂々と片手で支えて笛を吹く様は、奈良の積み重ねてきた美意識さえ感じさせます。おん祭の際は、ぜひ花笠を飾る高砂や猩々(しょうじょう)の人形に目をこらしてみてください。

現在の春日若宮おん祭の田楽座と「花笠」

現在の春日若宮おん祭の田楽座と「花笠」

信長も使った奈良人形の盃台

人形を使って発展したもう一つの工芸品が「盃台(さかずきだい)」です。こちらも花笠と同じく装飾の限りを尽くす飾り物として、儀式や贈り物に珍重されました。中でも興味深いのが、天正10(1582)年5月、織田信長に奈良の盃台が献じられたことです。ときは本能寺の変の半月ほど前、信長は安土城で徳川家康を手厚くもてなします。接待役の明智光秀によって集められた京都、堺、大和の名品のなかにあった五体の能人形を配した美しい盃台を、信長も大いに愛でたといいます。舞楽や能楽を題材にした人形を配した絢爛な盃台は、その後も豊臣秀吉や徳川家康に献上され、奈良の名産のひとつとなります。「奈良人形」の名前が定着したのも、この頃ではないかといわれています。

春日若宮おん祭に奉納される盃台は、「大宿所祭(おおしゅくしょさい)」の行われる12月15日に餅飯殿町(もちいどのちょう)の大宿所で見ることができます。

お旅所祭の舞楽「地久」を再現した春日若宮おん祭の盃台

お旅所祭の舞楽「地久」を再現した春日若宮おん祭の盃台

奈良人形を再興した森川杜園

近世には置物や根付、香合などに品種を広げた奈良人形を、幕末から明治の変革期に芸術にまで高めたのが、文政3(1820)年に奈良で生まれた森川杜園(もりかわ・とえん)です。若くして絵師になった幼名友吉は、16歳で当時の奈良奉行から「扶疏(ともしげ)」の名と「杜園」の号が与えられます。そして程なく始めた彫刻でも、みるみると独自の世界を切り拓きました。力強く鋭い刀法で動きのある造形を生み出し、かつ繊細な写実性を備えた作風は、絵師として鍛えた目と技によるものだともいえるでしょう。さらに23歳のときに大蔵流狂言師山田弥兵衛を襲名した杜園は、絵師、狂言師、奈良人形師を意味する「三職」を名乗り、その才能を縦横無尽に広げます。

ちなみに、「奈良人形」が「一刀彫」とも呼ばれるようになったのは、明治期。神事にルーツを持つ奈良人形は、なるべく人の手を加えず一刀で彫り上げるような風合いが尊ばれたといわれます。命名者は近衛家出身で維新後初の春日大社宮司となった水谷川忠起(みやがわ・ただおき)とのことです。

森川杜園「三頭鹿置物」1886年作(『杜園』美術書院1946年 より)

森川杜園「三頭鹿置物」1886年作(『杜園』美術書院1946年 より)

多彩に活躍した杜園のさらなる仕事のひとつに、正倉院宝物の模造と模写があります。内国勧業博覧会で受賞を重ねたその妙技は、本物と見分けが付かないほどだったらしく、知り合いの前で二つ並べてはどちらが本物かを当てさせるといったチャーミングな一面もあったようです。

幕末の国学者であり歌人の伴林光平(ともばやし・みつひら)にも師事していた杜園は、明治27(1894)年、亡くなる前に辞世を詠んでいます。

   罷(まか)り出てあらぬ手業(てわざ)を世に残しさも恥しと身は隠れつる  森川杜園 辞世
   (会心とはいえない作品を世間に残して まこと面目がないことですがこの世を去ります)

天才と呼ばれても留まることのなかった森川杜園の志の高さがしのばれます。一瞬素朴に見えるかもしれない「奈良人形」「一刀彫」の姿には、神事に際して木を彫る厳粛な思いと、それを芸術にする熱い思いが流れています。

主な参考文献

『奈良人形』奈良市 1982年
『日本の技6 近畿に薫る技の華』集英社 1983年
「大和志」第10巻第8号 1943年

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