志賀直哉と奈良

多くの文人が集った志賀直哉旧居の食堂

志賀直哉と奈良

社家の町、上高畑町

奈良市高畑町のうち飛火野園地の南、春日山の西南麓にあたる上高畑(かみたかばたけ)の一帯は、かつて「春日禰宜町御赦免地」と呼ばれた社家(神官の家柄)の町でした。現在も閑静な邸宅が並び建つこの地に、「小説の神様」として知られる志賀直哉(1883~1971年)が自邸を建てたのは、今から90年余り前の昭和4(1929)年のことです。

志賀直哉旧居外観

志賀直哉旧居外観

自ら設計した新居

宮城県石巻で生まれ東京に育った志賀直哉は、父との確執により尾道で自活を始めて以来、結婚後も我孫子、山科など住まいを頻繁に移し、大正14(1925)年春、42歳で奈良市内の借家に転居します。そして4年後に自ら設計して建てた邸宅が、現在、一般にも広く公開されている「奈良学園セミナーハウス 志賀直哉旧居」です。

表門脇の前庭から書斎や客間を望む

表門脇の前庭から書斎や客間を望む

435坪の敷地に、仕事場と住居と社交場を兼ね備えた延べ床面積134坪の建物は、数寄屋建築を基調としつつ西洋東洋の様式を取り入れたユニークな構造です。しかし決して気取ったものではなく、直哉の言葉を借りれば「必要な事だけを単純化して、美しい所を備へてゐれば、居心地のよい家になる」お手本のようにも感じられます(「住宅について」)。各部屋の趣向はもちろん、動線や視線への細やかな配慮など、直哉の文体や人生観をかたちにしたようなこの家で、昭和12(1937)年3月、着手から26年、雑誌掲載から17年もの歳月を要した代表作『暗夜行路』は完成しました。

奈良で過ごした42歳から55歳までの13年間に、直哉は印象的な短編をいくつも残しています。昭和8(1933)年に書かれた『万暦赤絵(ばんれきあかえ)』は、古美術や犬の話から妻子のいきいきとした様子、大阪や満州旅行の話まで、見事な展開の中に直哉の美意識や家族のくらしぶりが感じられる小品です。

また、奈良を引きあげる直前に発表された随筆「奈良」は、次の文で締めくくられています。

「兎に角、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残つてゐる建築も美しい。そして二つが互に溶けあつてゐる点は他に比を見ないと云つて差支へない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠(ざんけつ)が美しいやうに美しい。御蓋山(みかさやま)の紅葉は霜の降りやうで毎年同じには行かないが、よく紅葉した年は非常に美しい。五月の藤。それから夏の雨後春日山の樹々の間から湧く雲。これらはいつ迄も、奈良を憶(おも)ふ種となるだらう。」

北と東に大きく窓を取った二階の客間からは、その絶景を一望することができます。

若草山と御蓋山、その奥の春日山原始林、さらには高円山を見渡せる二階の客間

若草山と御蓋山、その奥の春日山原始林、さらには高円山を見渡せる二階の客間

北向きの書斎。冬は二階の和室で執筆することが多かったという

北向きの書斎。冬は二階の和室で執筆することが多かったという

高畑サロンと旧居保存運動

文人や画家をはじめ、彼を慕う奈良の人たちが多く集った志賀邸は、いつしか「高畑サロン」と呼ばれるようになります。なかでも20歳以上年下で、後に東大寺管長を務めた上司海雲(1906~1975)との交流は生涯続きました。「立派というより仕方がないが、あんなすぐれた人は仏教界にもどこにも見当たらない。あの正確無比な、するどい、それでいて、すんだやさしい眼」(上司海雲『古都鑽仰』)で、さまざまな人たちを食堂やサンルームでもてなし、子どもたちの成長を見守った直哉は、『暗夜行路』を書き終えた翌年の昭和13(1938)年に東京に戻ります。旧居は民間人に売却され、第二次世界大戦後には米軍が接収、のちに厚生年金飛火野荘として使用されることに。そして、建て替え解体の話が持ち上がった1975年、地元で保存のための草の根運動が起こりました。

食堂の壁にはつくり付けの牛革ソファも。左奥は裏庭へつながるサンルーム

食堂の壁にはつくり付けの牛革ソファも。左奥は裏庭へつながるサンルーム

コルク敷きの子ども部屋。格子を通して直哉の部屋から見守ることができる

コルク敷きの子ども部屋。格子を通して直哉の部屋から見守ることができる

食堂の廊下から中庭越しに茶室や客間側を眺める

食堂の廊下から中庭越しに茶室や客間側を眺める

貴重な文学遺産である志賀直哉旧居を守ろうという地域の人たちの熱意のもと、文化人や学者による講演会が行われ、全国から数万人の署名も集まりましたが、国や県や市への働きかけは難航。最終的に学校法人奈良学園がこれを買い受け全面保存し、一部公開することになりました。2000年には国の有形登録文化財に指定、ときに「矢も楯も堪らず、奈良に帰りたくなる」ほど奈良に愛着を持っていた志賀直哉の家は、2009年の修復工事によってほぼ当時の状態に復元され、2016年に奈良県指定有形文化財となり現在に至ります。

待合風を念頭に設計したサンルームの天井。ガラスがはめ込まれ太陽の光が降りそそぐ

待合風を念頭に設計したサンルームの天井。ガラスがはめ込まれ太陽の光が降りそそぐ

文化人が集ったサンルームには中国風の黒レンガ「塼(せん)」が当時のまま敷き詰められている

文化人が集ったサンルームには中国風の黒レンガ「塼(せん)」が当時のまま敷き詰められている

復元された浴室には、当時珍しいシャワー(水のみ)もある

復元された浴室には、当時珍しいシャワー(水のみ)もある

直哉が好んで歩いた「ささやきの小径」

春日大社二の鳥居と志賀直哉旧居を結ぶ「下の禰宜道(ささやきの小径)」

春日大社二の鳥居と志賀直哉旧居を結ぶ「下の禰宜道(ささやきの小径)」

旧居玄関前の交差点をそのまま北へ、細い坂を少し下ると、春日大社の二の鳥居につながる「下の禰宜道(しものねぎみち)」、通称「ささやきの小径」の入り口が見えます。かつて春日大社の神官たちが通った道を、あるときは思索しながら、あるときは家族や友人たちと歩いた志賀直哉。2月中旬から4月にかけては、馬酔木(あしび)の花が木漏れ日を受けて光ります。

春が近づくと咲き出す馬酔木の花

春が近づくと咲き出す馬酔木の花

登大路ホテル奈良からのアクセス

奈良学園セミナーハウス 志賀直哉旧居

Webサイト

http://www.naragakuen.jp/sgnoy/index.html

住所

奈良市高畑町1237-2 電話&FAX 0742-26-6490

アクセス

・登大路ホテルから奈良公園浮御堂を通り東南に徒歩約25分(約1.8キロメートル)
・近鉄奈良駅から奈良交通バスで「破石町」下車、東へ徒歩4分、北へ1分、旧居標識あり

情報

・開館時間 3~11月は9:30~17:30、12~2月は9:30~16:30
・12月28日~1月5日休館
・セミナー開催日や貸切日あり
・冊子『志賀直哉旧居の復元』は、志賀直哉旧居でのみ販売

※2020年02月現在の情報です。

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