室生寺

雪の奈良室生寺五重塔
第11回 初冬
雪を待つ古寺
~室生寺 モノクロームをあたためて

「室生寺はいつ行ってもいい」

そう言ったのは写真家の土門拳(どもんけん)だ。
彼は昭和14年に初めてこの寺を訪れたのをきっかけに、全国の寺社の写真を撮り続け、名作『古寺巡礼』が生まれた。
学生時代、私もこの本で室生寺を知った。花の写真もある、若葉の写真もある。なのに、白と黒だけで映し出された杉木立や、山からたちのぼる靄、石段の陰影やお堂の影……。どれも、見る者の目を釘付けにする。
仏さまの姿も、みな美しい。力みなぎる十二神将像、慈愛に満ちた薬師如来像、すべてを見晴るかすように遠い目をした十一面観音像。モノクロームの写真の中で時を止め、静かに静かに息づいておられる。

「女人高野」(にょにんこうや)という別名もこの本で知った。昔は高野山にお参りしたくても女人禁制と定められており、空海の母ですら入り口までしか入れなかったのだ。これに対し室生寺は、女人でも入山を許したため、その名で呼ばれた。
現代人はそんな信心深さと縁遠いにせよ、「いつ行ってもいい」というのはありがたい。もっとも、奈良県と三重県の県境にある山岳仏教の寺院ゆえ、アクセスは決していいとはいえない。だから私は奈良市内に泊まり、そこを拠点に出掛けることにしている。

いったい、こんな深山幽谷の寺に、女たちはどんな祈りを抱いて懸命に歩いて来たのだろうか。数百年の風雪に耐えた太鼓橋や山門は、そんな人々の姿を見てきたことになる。いや、寺をすっぽり包む杉木立も、同様にか。
だが土門によれば、山では主と言われるような古木でも樹齢はせいぜい四、五百年。対して金堂や五重塔は千年以上たっているから、山の木々より長い、と言い切る。
「芸術は自然よりも長いのである」
それは、彼が行き着いた結論なのだろう。ライフワークである古寺巡礼は、雪の室生寺を撮ってシリーズを閉じる。

ある時彼は、荒木良仙住職との語らいの中で、四季の中でどの季節の室生寺が一番美しいかと尋ね、老師はこう答えた。
「全山白皚々(はくがいがい)たる雪の室生寺が第一等であると思う」
白皚々たる雪――。北国ならばいざ知らず、関西では雪はあまり見ない。だからこそ彼は、どうしても雪の室生寺を撮らずにはいられなくなった。雪を待って、近隣の旅館や病院に何日も泊まり込んでシャッターチャンスを待つ姿には鬼気迫るものがあっただろう。

はたして、待ちに待った雪は降った。東大寺でお水取りが行われる日の朝のことだ。
旅館の女将に知らされた時、彼は一言、「降りましたか」と言い、助手が開けた窓の向こうの雪景色を見て涙をこぼしたという。
「ぼくの待っていた雪はさーっと一掃け、掃いたような春の雪であった」
本物の雪はすぐに溶けても、”白皚々たる雪”の室生寺は彼のカメラによって、永遠に時をとどめることになった。

久しぶりに本を開けば、また室生寺を訪ねたくなる。どうせなら雪の室生寺を見たいと思うが、温暖化の影響で我々は土門より長く、焦らせ待たせることになるだろう。ならば雪の室生寺は、写真というモノクロームの芸術として、変わることなく憧れ続けるのがいいのかもしれない。

室生寺へのアクセス
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兵庫県三木市生まれ。神戸女学院大学卒業。 ’87年 神戸文学賞受賞作の『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で文壇デビュー。 著書多数の中、幻の名画コレクションに材を取った『天涯の船』をはじめ、巨大商社の女主人の一代記『お家さん』(第25回 織田作之助賞受賞)、生野銀山を舞台に国家と人間の近代化を描いた『銀のみち一条』(いずれも新潮社)は、 明治三部作として反響を呼んでいる。 2015年に刊行した『天平の女帝 孝謙称徳』(新潮社)執筆の際は、小説の舞台が登大路ホテル奈良に隣接する興福寺だったこともあり、ホテルに宿泊して構想を練った。 最新作は、戦国時代の最後のヒロイン、千姫の人生を描いた『姫君の賦(ふ)―千姫流流(りゅうりゅう)―』(PHP研究所)で近刊予定。

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