生駒山地の南端、標高437メートルの信貴山(しぎさん)山腹にある「朝護孫子寺(ちょうごうそんしじ)」は、福徳開運を願う庶民の信仰盛んな、毘沙門天王の総本山です。寺伝では、聖徳太子が寅年 寅日 寅の刻にこの地で戦勝祈願をしたところ、毘沙門天が必勝の秘法を授けたことから、この山を「信貴山(信ずべし、貴ぶべき山)」と名付けたとされます。
ー 眼下に奈良盆地が広がる本堂舞台
ー 「信貴山縁起絵巻」が公開される霊宝館
日本三大絵巻の一つに数えられ、絵巻芸術の最高峰ともいわれる国宝「信貴山縁起絵巻」は、平安時代の名僧で朝護孫子寺中興の祖、命蓮(みょうれん)上人にまつわる三篇の奇想天外な物語です。普段は国立奈良博物館で保管されている全3巻のうち毎年秋に1巻が、朝護孫子寺の霊宝館で特別公開されます。
| 「朝護孫子寺」の由来
仏教に帰依する受戒のために、信濃の国(現在の長野県)から東大寺に入ったといわれる命蓮は、若草山から西南の方角に、紫雲たなびく信貴山を見つけました。雄岳と雌岳を頂きに持つこの山を霊山だと確信した命蓮は、導かれるように入山して厳しい修行に励みます。その法力は都にも伝わり、歴史書『扶桑(ふそう)略記』には、醍醐天皇(在位897~930年)が重い病にかかった際、命蓮に病気平癒祈願の勅命がくだったことが記されています。「朝護孫子寺」の名は、その際に帝から与えられた「朝廟安息 国土守護 子孫長久」の願文に由来しています。
ー 大和國信貴山絵図(1880)奈良県立図書情報館蔵
ー 紅葉の信貴山境内(朝護孫子寺提供)
| アニメ界の巨匠をうならせた躍動感ある絵巻
2021年秋に公開予定の信貴山縁起絵巻「延喜加持(えんぎかじ)の巻」は、命蓮上人が醍醐天皇(延喜の帝)の病気平癒を祈願した史実をベースにしつつ、毘沙門天の使いである「剣の御法童子(ごほうどうじ)」を登場させ、命蓮の持つマジカルパワーをダイナミックに可視化した傑作です。祈祷なら都へ出向かわずとも信貴山中でできるという命蓮。加持祈祷の終了をいかに確認するのかと問う勅使に、命蓮は剣の御法童子を遣わすといいます。祈祷は無事に成功。雲に乗った剣の御法童子が宮中に飛来して、帝の病は快癒します。勅使は再び信貴山を訪れ、命蓮に褒美を授けようとしますが、名誉も褒美も修行には必要のないものと、命蓮はすべてを辞退して物語は終わります。
ー 護法童子を祀る剱鎧護法堂
紙や絹を横長につないだ絵巻は、両手に持って肩幅程度に広げては巻き取りながら鑑賞するものでした。展示された絵巻を観覧する際も、右から左へ視線を少しずつ移すことで、臨場感や驚きを追体験できることと思います。また、信貴山縁起絵巻における登場人物のいきいきとした表情や、遠景と近景を自在に配置する場面構成は、絵巻という形状の持つ制約を逆利用し、動的な視覚効果を生み出すことに一役買っているといえます。数多くの名作を生みだしたアニメーション監督の高畑勲氏は、信貴山縁起絵巻の完成度の高さにうならされたといいます。
信貴山縁起絵巻はタテ31センチメートル余、今回公開される第2巻「延喜加持の巻」(長さ約13メートル)のほかに、お布施を出し渋る長者の倉を命蓮が法力で持ち上げる第1巻「山崎長者の巻(飛倉の巻)」(長さ約9メートル)、出家した弟を探すため信濃からやってきた命蓮の姉の尼公(あまぎみ)が、大仏のご加護で弟に再会する第3巻「尼公の巻」(長さ約14メートル)があり、特別公開期間外は霊宝館で模本の一部を見ることができます。(ページの最後にある特別公開のリンク先に、剣の御法童子の画像があります)
| 謎の多い信貴山縁起絵巻
絵巻は命蓮が亡くなったあとの12世紀後半に制作されたと考えられていますが、依頼主も絵師も判明しておらず、朝護孫子寺に伝来する江戸時代まで、どこの所蔵であったかも不明です。
ただ、金泥や銀泥といった高価な顔料をふんだんに使用している点や、清涼殿の絵が後白河法皇の命により制作された『年中行事絵巻』の様式を踏襲している点、なによりも「無類の絵巻好き」だったといわれる法皇が、四天王寺と東大寺の参詣道中に何度も信貴山を訪ねている点などから、後白河法皇の依頼によって当時の最新技術を持った絵師が描いたのではないかと考えられているようです。
| 見どころの多い朝護孫子寺
霊宝館にはほかにも楠木正成が奉納した旗や愛用の兜、武田信玄による戦勝祈願の礼状やの寄進の書状など、歴史ファンにはうれしい寺宝がさりげなく展示されています。境内を巡るには、開運橋のたもとにある「信貴山観光iセンター」などで到着時に境内マップをもらっておくと便利です。寺と門前町を結ぶ開運橋は、橋脚を設けることが出来ない場所で採用された「上路カンチレバー構造」で日本最古の橋。登録有形文化財であり、関西唯一のバンジージャンプ場としても知られています。
ー 上路カンチレバー橋の開運橋は登録有形文化財
ー 空鉢護法堂手前の信貴山城址
ー 空鉢護法堂からは大阪と奈良が一望できる
信貴山頂にある空鉢(くうはつ)護法堂へは、行者堂と多宝塔の間の鳥居から20分ほどの軽い登山が必要です。天気のいい日には大和葛城山と大阪と奈良が一度に目に入ってくる絶景の地に信貴山城を構えたのが、戦国武将の松永久秀です。1577年、久秀は主君であった織田信長に背くも敗北、信貴城は炎上し、類焼を受けた朝護孫子寺もほとんどを焼失してしまいました。
その後、豊臣や徳川の寄進を受け再興した朝護孫子寺。起伏の多い境内は、現世利益のパワースポットと呼ばれるにふさわしいエネルギーに満ちています。本堂階下の暗闇を歩く「戒壇めぐり」や、開山堂の八十八所巡りなど、五感を通じた祈りの場も多く用意されています。2022年は12年に一度の寅年のため、記念の大法会が行われる予定です。
ー 本堂扁額には毘沙門天の使いムカデが
ー 探すとあちこちに隠れているムカデ
ー 歩くだけで楽しい迷路のような境内
ー 信貴山といえば有名な張り子の虎
ー 迫力満点の開山堂内陣(朝護孫子寺提供)
ー 堂内でできる四国八十八所巡り
◇信貴山 朝護孫子寺へのアクセス
JR大和路線・近鉄生駒線王寺駅下車、奈良交通バス「王寺駅北口」から「信貴山門」行きに乗り「信貴大橋」下車5分
◇関連サイト
信貴山 朝護孫子寺 国宝信貴山縁起絵巻特別公開◇主な参考資料
『大和の名刹 毘沙門天王の総本山』冨永衡平 信貴山朝護孫子寺 2005
『特別展 国宝 信貴山縁起絵巻-朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝-』奈良国立博物館 2016
『週刊古寺をゆく35当麻寺・信貴山』小学館 2001
『躍動する絵に舌を巻く 信貴山縁起絵巻』泉武夫 小学館 2004
※2021年10月現在の情報です。